「知研フォーラム」332号−−46周年

「知研フォーラム」332号。創刊46周年。
1970年代のセミナーの再録がとても興味深い。
今号は「映画」がテーマだった。

  • 新年の挨拶:理事長・久恒啓一「知研50周年を見つめて」
    • 2020年に創立50周年。ある志の高い出版社との縁。
    • セミナー数百回は講演録と肉声が残っている。これは「戦後」という時代を映す貴重な資料。これを料理して柄の大きな知的生産を。
    • 会員の手による知的生産。支部の周年誌、個人の出版。
  • 多摩大リレー講座「戦後70史、そして沖縄」(久恒啓一
  • 1973年セミナー「事業に成功する人物の性格と能力」(杉森久英
    • 突拍子もないことをする。猛烈な勉強家。いやなところがる。最後は運次第。
  • 映画特集
    • 今井正(監督)「青い山脈」「武士道残酷物語」「ひめゆりの塔」の監督。
    • 熊井啓(監督)「黒部の太陽」「忍ぶ川」「サンダカン八番娼館」「海と毒薬」の監督。「一本つくると面白くてやめられない」「自分の生き方、人生観を映像によって表現」「日本人であること」
    • 瀬木宏康(演出家)「華麗なる一族
    • 沼上満男(クリエイティブディレクター)「分母は心、分子は技」
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久恒啓一の「学びの軌跡」は、3位。4540部。
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「名言との対話」3月27日。広瀬武夫

  • 「杉野はいずこ、杉野はいずや」
    • 軍神広瀬武夫中佐は1868年明治元年生まれ。1904年日露戦争で旅順港口で37歳で戦死。ロシアに留学後、ロシア駐在武官となる。戦艦朝日の水雷長として日露戦争に従軍。第二回旅順港閉塞作戦で福井丸を指揮、同船の沈没間際まで行方不明の部下杉野孫七をさがしつづけ、やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。3月27日。
    • 最近の研究によると、広瀬はその日(1904年3月27日)、ロシア戦艦レトヴィザンから複数の内火艇の射撃を受けて海中に落ちた。ロシア艦船が発見して引き揚げ、軍外(がい)套(とう)を着た状態で収容した。頭部以外はほとんど損傷はなかった。遺体は、広瀬がロシア駐在武官のころ交際した令嬢アリアズナの兄(ロシア軍大尉)らが確認。ロシア軍隊の軍旗、葬送曲を伴った完ぺきな栄誉礼をもって厳粛な葬儀が執り行われた。遺体はその後、旅順のロシア海軍墓地に葬られた。納棺の際にはアリアズナから贈られた懐中時計も発見された。
    • 講道館新館2階の「資料室」の中に「殿堂」への入り口があり、その奥に「師範室」がある。資料室は柔道の誕生から世界200各国に伝播するまでの歴史の資料が展示されている。殿堂には、柔道界を担った先達の写真と経歴が記してある。この中に、広瀬武夫6段(1868−1904年)の名前を見つけた。嘉納治五郎は広瀬の戦死を聞いて号泣したという。
    • 中佐は船倉から戻らぬ部下・杉野孫七上等兵を呼び続け。この広瀬中佐の言葉は文部省唱歌に歌われている。広瀬中佐は、剛毅、果断、勇武、鬼、と呼ばれていたが、部下思いの情の人でもあった。