「名言との対話」5月13日。武田信玄。

「名言との対話」5月13日。武田信玄

  • 「一日ひとつずつの教訓を聞いていったとしても、ひと月で三十か条になるのだ。これを一年にすれば、三百六十か条ものことを知ることになるのではないか。」
    • 戦国-織豊時代の武将。越後国上杉謙信と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃駿河、西上野、遠江三河と美濃の一部を領し、領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、5月13日、信濃で病没した。
    • 希代の名将であり、また信玄堤をつくるなど領国経営の達人でもあった信玄には、人心を集めるにあたっての名言が多い。「人は濠(ほり)、人は石垣、人は城、情けは味方、仇(あだ)は敵なり」「四十歳より内は勝つように、四十歳よりは後は負けざるように」「戦での勝ちは、五分をもって上とし、七分を中、十分をもって下とする」「いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままなる振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない」こういう言葉を眺めていると、武田信玄は、相当な人間通であったと思わざるを得ない。
    • 軍師・山本勘助が書き、信玄自らが加筆して成立した心得集で、若い武士を対象とした日常生活の心得や守るべき常識を平易に記した「武田家百目録」(甲府武田神社で購入)などで、信玄の人生観はわかる。「朝の目覚めの方法「胸から臍の下まで3回なでおろし、臍下三寸の丹田をしっかりおさえてから起き上がれ」「寝床の上にあぐらを組み、その日の用事を心に描き、整理し、順序を立てて、寝床を出よ」「目の中はよく洗え」「寝る前に「便所へ行って、その日一日の仕事の内容を書く印紙忘れていることは記録して枕元へ置き、翌日真っ先に区切りをつけよ」「晴れ晴れとした気持ちで丹田を押さえ気持ちを落ち着かせて寝る」「枕元に干し飯、金銭、梅干し、樫の棒、草鞋2足をそろえよ」「得意の仕事を申しつけよ」「身辺の出来事をむやみに語らず慎み深くせよ」「金を貸すときは助け与える気持ちで」「一歩一歩歩みを踏み固め、段々と稽古に励め」、、、。
    • そういった心得のなかでも私が気に入っているのは、1日1つを続ければ1年で365になるというこの教訓である。ものごとは一気になるものではない。「一日一つ」ということの凄みを信玄はよく知っていたと思う。心したい名言だ。