「でも」の人。「では」の人」

「名言との対話」6月11日。柳瀬長太郎。

  • 「その人の幸せ、不幸を決めるのは、「でも」か、「では」だ。」
    • 1879年〈明治12年〉12月15日 - 1956年〈昭和31年〉6月11日)は、日本の実業家。株式会社ヤナセの創業者として知られる。
    • 身も心も、会社も、瀬戸際に追い詰められていた1923年(大正12年)、関東大震災が発生した。大災害の時は、「物より人の移動が優先する」との直感で大量の在庫を抱える中で震災直後にGMに乗用車2000台を新たに注文、横浜へ出荷し、それが当たって破産寸前から立ち直った。
    • 「40歳になって「今からでもできる」と思うか、「今からでは無理」と諦めるかは、その人の10年後に大きな影響を及ぼす。」
    • 株式会社ヤナセの経営を引き継ぎ、自動車輸入の最大手企業に発展させた[後継者の柳瀬次郎は「ふりかえってみると、私の半生の大半は、父長太郎に対する反発と抵抗の歴史であったと思う。」と述懐している。
    • 「でも」が口癖の人は、何もやらない。「では」という言葉を常に使っている人は、何かをやるだろう。その口癖が未来を決める。