多摩大リレ講座:寺島学長「17世紀オランダからの視界―近代とは、、

  • リレー講座「10万人」達成のセレモニー


寺島学長「17世紀オランダからの視界―近代とは何だったのか?」。

  • 2010年11月号から37回目の連載。
  • 戦後日本人の最大の弱点は歴史認識の弱さ。
  • 17世紀オランダ論は「世界観の再構築」がテーマ。全体知。プラットフォーム。世界史と日本史の関係。
  • 2016年4月5日の朝日新聞「キリシタン禁制下 最後の宣教師か」。2014年7月に文京区の切支丹屋敷から3つの人骨を発見。DNA鑑定によると最後の宣教師・シドッチと入信した役人夫妻の骨らしいことがわかった。新井白石が向き合い「西洋紀聞」を上梓。シドッチについては遠藤周作の「沈黙」がある。(切支丹屋敷跡。「沈黙」の再読)
  • なぜ日本ではキリスト教は広まらなかったのか?
  • 三浦按針という存在。イギリス人。
  • 分裂国であったドイツはプロシア中心の統一国家へなっていく。日本近代史は光輝くドイツの影響を受けすぎた感あり。明治の福沢たちはその現実をみてオランダに失望した。それがドイツへの過大評価につながった。明治の留学生の半分以上はドイツだった。鴎外など。日本は日英同盟という集団的自衛権を名目に第一次世界大戦で中国山東半島のドイツ権益を奪ってしまった。司馬遼太郎は「ひいきよりも安堵感」だったという書きぶりでドイツを語っている。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「名言との対話」6月16日。松永安左エ門

  • 「小さな妥協は小さな人物でもできるが、大きな妥協は大きな人物にならなければできない。」
    • 「電力の鬼」と称された松永安左エ門(1875-1971年)は、数々の電力事業にか関わった後に、現在の電力供給体制を発案し、強力に実行した人物だ。電気事業の国家統制に反対し東邦電力を解散するなど、信念の持ち主でもあった。小田原には松永記念館があり、松永の事績をたどることができる。6月16日、97歳という高齢で永眠。
    • 60歳から、耳庵という号を持って、お茶に情熱を傾ける。孔子の「五十にして天命をしる 六十にして耳順う」からこの号を採用している。そして政財界の重鎮を招いて茶会を催す。茶を通じて交流した人の名をあげる。杉山茂丸、福沢桃介、益田鈍翁根津嘉一郎(青山)、原山渓(富太郎)、小林逸翁(一三)、高橋箒庵(義雄)、野崎幻庵(広太)、畠山逸翁(一清)、、、。
    • 松永の64歳にときに益田鈍翁没。67歳では野崎幻庵没。70歳では山下亀三郎没。83歳で小林逸翁没。85歳では五島慶太没。97歳という長寿の間に見送った友人の数は計り知れない。その都度、松永は何を思っただろう。
    • 77歳、電気事業再編を強行し「電力の鬼」と称される。経歴をたどてみるとまさに電力一筋の鬼気迫る仕事人生であるが、しかし冒頭の妥協に関する言葉をみると、この人は信念の人であったと同時に、妥協の天才でもあったのではないか。事業を起こし推進し成功させるには、小さな妥協、中くらいの妥協、大きな妥協など、妥協の連続であっただろうことは想像に難くない。60歳からの茶人としての生き方は、大きな人物に向っての修行でもあっただろう。