大学院の7回目の授業。
本日のテーマは、「戦後日本」を中心としたテーマの名著の読後感と内容のエッセンスを書いた私のブログ記事の図解化への挑戦。
「永続敗戦論」「琉球独立論」「地位協定」「戦後入門」「グローバリズム」「アメリカの医療」「TPPと日本の医療」「森嶋通夫の日本を巡る洞察」「戦争ができる国」「基地と原発」「資本主義の終焉」「若者」、、、。
戦後日本の隠された現実が重層的に浮き彫りになっていく密度の濃い時間となった。
以下、受講者のフェイスブックへの書き込みから。
- 『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治)を図解した。砂川判決での違憲判断を避けたがゆえに、日米安保条約、日米地位協定、日米合同委員会といった“密約”が、日本国憲法より上位に位置付けられ、憲法も、当然ながらあらゆる国内法も、安保村では何の力もなくなってしまった。同様の構図は、原子力村にも当てはまり、一体、日本に主権というものが存在するのか⁉︎と思わざるを得ない。無いという方が正解だ。しかも、国連憲章の“敵国条項”には、日本とドイツが軍国主義を復活させたならば、安保理の許可なく攻撃可とある。9条改正の可否は別にしても、9条と敵国条項と米軍基地問題をセットに対処せねばならない、非常に難易度の高い問題だということにも気づかされた。戦後70年以上を経た今も、敵国条項や敗戦国が無理強いされた密約に、縛られているという現実は重い。密約があるなら、憲法改正しても、密約に縛られる事項では、何にもならないではないか…
- 「永続敗戦論」の図解を担当いたしました。前回より図解しやすいと思ったものの、発表の段階で自分が説明出来るだけの内容が盛り込まれていないことに気がつきました。やはり、発表することで学ぶことは多いと今更ながら感じた次第です。ところで、戦後の日本とアメリカの関係について、改めて考えさせられる内容でありました。この本は、すぐに読みたいと思います。また、院生になってから本を読むことが増えたものの、内容をあまり覚えておらず身につくモノが少ないと感じておりました。図解をすることで、学びがUPしますね!最初は時間がかかるかもしれませんが、この講義のOUTPUTも兼ねて取り組みたいと思います。
- 本日のワタクシに与えられたお題は「琉球独立論」の図解也。他の受講生もテーマが重い。重すぎて日ごろ見て見ぬ振りをしているテーマばかり。自分の頭で考えていないことは、エネルギーを使う。特に重いテーマは、思考停止に陥り易い。そこは、師匠!仕掛けが巧い。各人が発表すると関連性が見えてくる。自分の図解で精いっぱいで理解が浅い部分が、他の人の図解がレイヤーの様に多層的に組み合わさって、ロジックに組み直しされていく。図解の二次元的理解から空間的理解への昇華の瞬間を見た。この感覚を受講した全員が共有体験できていたらうれしい限り。構造解析した図解を多層的に再構築する手法は個々人のセンスだと思うが、情報を極限まで削り取ったコアを結合させているので、組みあがった図解はそうはぶれていないと思う。だから疎結合でいいのだろう。コアとコアの関係性である「間」をどうブリッジングさせていくかは無限であるが、この空隙は、繋ぐ人間の持つ情報量に限定されるかもしれない。要は自身の成長度が図解の精度に単純に反映される。精進するしかあるまい。
- 今回の図解の題材は、難易度が高かったです。著者が論客と言える程の知性と論理的思考で展開しているため、理解する側の読解力と、空間を埋める空間デザイン思考力が必要だと感じました。私の材材について。中国と日本。70年いがみ合っているが、いっぽうで、2000年以上、日本は中国の文化的影響を受けながら共栄してきた。その歯車が狂ったのは、欧米の中華圏への侵攻がスタートだったということが忘れられ始めている。いま一度、アジアの覇権を争うのではなく、戦争ではない、アジア全体の共栄圏の確立は必要だと思いました。
- 明治以後、欧米列強に与する事をなんとか回避してきたものの今ではアメリカの植民地。首都圏の占領地と言えば、横浜もなにげにかなり占領地。根岸の高台は港湾労働者を見下ろすように広大な敷地に平屋が点々と。あれを開発したらかなりの高値で売れるはず。山手の奥、競馬場跡地の脇にも施設へのアプローチ。横浜港には、東神奈川の先にひっそりと軍港と倉庫。東神奈川には何年か前までミルクプラントもありました。岸根公園は、ベトナム戦争当時は野戦病院。負傷兵が東神奈川に船で着くと上麻生道路と言う広い一本道で5分程度。この道は戦車を積んだトレーラーが横田ベースとの往復に使われるため道幅も舗装の厚みも高規格。都心でも同じ。青山墓地でお墓参りしてると頭上では米軍のヘリが。。。。Stars&Stripes社なのか?軍なのか?六本木のヘリポートに向かってる模様。これじゃ、友軍じゃなくて進駐軍のままですね。国民にもっと、現実を広く知らしめる必要がありますね。
- 図式化の概念はわかったような気がしているのだが実践は奥が深い。もっと効果的な図式を作図するには工夫とか知恵が必要だ。最終レポートの構想の段階まで来て、ようやっと本気で取り組めるような気がしている。法律は文言による定義だから、確かに今日言われたようなことはあるとインスピレーションを得た。私の題材は「資本主義の終焉」。これは民主的な概念のある種の否定だから、文言による縛りのようなところから解放されるという意味ではある種の平和的な革命の要素と重なっている。第七回目でこの題材に会えたのはうれしかったが、最後の局面まで来て、ようやっと本気になれかかっている。いいことだが、反省すべき点も多かった。これを次に生かしたい。
- 今回は俯瞰する視点を忘れて後ずさってしまいました。私としたことが!日米地位協定と日本国憲法のどちらがAKB48でいうところのセンターか、正しく知りませんでした。日米合同委員会は、さしずめファンの味方であるように様々なサービスを提供しているようにみせて裏では票と金銭を稼いでグループに尽くす握手会のようなものですかね。こちらに今回図解した書籍の作者の動画があります。普天間基地には本来あるべきものがないとのこと…。こんなふうに感じることのできる機会を与えてくださり、ありがとうございます!もっともっと、知るを怠らずに、考え抜くを目指します。
- 「考えちゃダメだよ」 先生に掛けられた一言。確かにわかっていないことだから、手を動かすことが先だった。もうこの講義もあと1回というところまで来ているのに、情けないありさま。レポートは素直に取り組もう。しかし、今日の課題とされた著書の多くは日本とアメリカの関係性に関する内容だった。発表が重ねられ、2国を繋ぐのは蜘蛛の糸に感じた。今これを切れる立場にあるのはもちろんアメリカである。日本が糸に吊るされず、地に足を着けて進める時が来るのだろうか。いや、そんな時代が来てほしい。Mさんの発表にあった、若者の「みんなが幸せならいいじゃない」という感覚に不安を覚える一方で、この感覚に期待を持つのであった。
- 今回は先生がまとめていただいたキーワードを拾い、「なぜ日本が成功したか」を図解にすることを担当させていただきました。最初は既存なキーワードの関係性をつなげれば問題がないと容易く思い込みましたが以外と苦戦しました。どういうキーワードを選択すればよいか、どういう図解の構造にして表現しやすいかかなりセンスが必要だと感じていました。時系列で出来事を書き出すか、人の立場で分けて考えた方がよいか迷いました。結局は和魂(精神)と洋才(経済)の柱を分けてまとめました。十人が書くとそれぞれの色が出てくると確信しています、図解は作業ではなくその人の知識、視点などのバックグラウンドを反映する表現だと認識させていただきました。それに絵心のある方にも羨ましがります。
- 「世界を戦争に導くグローバリズム」。テクストの中のキーワード:武力攻撃-覇権国家-主権国。ウェストファリアンシステム-同盟・共存・撤退-国内不干渉。このテクストに分からない単語が多く出てきました。各言葉のそれぞれの意味を理解した上、図を描くことにしましたが、自分の描いたものを見て、毎回の図が同じようになっていることが気になりました。つまり、図を描くテクニックが上達していないような気がしました。限られた時間内に自分に与えられたテキストの内容を理解することが第一番の目的になり、その後図を描くという流れなんですが、内容によりかかる時間が違ってきいます。他の授業でも図を描き、読んでいるものを是非とも図にするようにしておりますが、自分がまだまだ高質な図解ができていません。自分の描いた図を皆にわかりやすく、また面白く色づけしする為ストーリー化し、発表する方がクラスの中に結構います。皆さんの描いた図解を見ながらいろいろ学んでおります。「図を描くにはテクニックが必要。描いた図解を他人にわかってもらうにもテクニックが必要だね」と強く感じた授業でした。
- 今回のテーマは、斬れ味抜群オンパレード。視点を変えれば、その見え方が全然違ってくることを示唆するものでした。それをスキーム化する手段こそ、図解スキーム思考といえます。要するにだ。本当はマンネリ状況を変えなければならない時、しばしば先延ばしが行われたり、次回会議までにとかの無駄なプロセスになる。これは決裂するパターンのプロジェクト推進者がよくやるパターンです。リーダーシップがあるとかないとか、みたいな精神論に陥りやすいが、それは別の議論です。実のところ、俯瞰的複眼で訴求できていない場合が殆どでしょう。図解ワークスタイル。ルーティン化 ぃやりましょう
17時に阿佐ヶ谷の「細田工務店リボン館に到着。
「地域創生セミナー レジリエンスコミュニイティの創造」に出席。
「名言との対話」。7月15日。黒田清輝。
- 「始終骨なし人形ばかり描いていて、いつまでも美術国だといっていられるか。」
- 黒田清輝(1866年8月9日(慶応2年6月29日) - 1924年(大正13年)7月15日)は、日本の洋画家、政治家。東京美術学校教授、帝国美術院院長(第2代)、貴族院議員などを歴任した。
- 黒田は法律をテーマにフランスに留学したが、転向し洋画家を目指す。日本にいた時は政治社会で名をあげようと考えていたが、絵を極めることは大臣になることと同じだといい、不遇困難を辞さずに「画学をもって一身を立てんと存じ候」と養父に決心を書き送っている。
- 上野の森にある東京芸術大学の一角に、黒田(清輝)記念室がある。日本近代洋画の父である黒田清輝(1866−1924年)の、代表作「湖畔」には目を引きつけられた。湖畔でうちわを持ち物思いにふける美女の姿を描いた傑作である。まろやかで迫力があり美しい。
- 黒田は几帳面な人で、神社への礼拝を欠かさず、日記も毎日書いた。一方で友人の暴力沙汰を機知と外向性で切り抜けるという面も持っていた。
- 黒田がフランス滞在中に描いた裸体画を公開しようとしたとき、それは公衆道徳に反するとの批判があり、裸体画論争が巻き起こった。日本美術の発展のためには、人体デッサンが重要と黒田は主張した。「裸体画の悪いということは決してない、悪いどころか必要なのだ」と言い、骨なし人形しか認めてこなかった日本美術界に新風を吹き込む革命児となった。明治という時代は、あらゆる分野に使命感を持った革命児がいたのだ。