銀座:安藤忠雄。大谷竹次郎。

安藤忠雄「Drawing,Photograph,Maquette」展。
銀座4丁目の銀昭ビル6階のAiko Nagasawa Gallery。
光の教会」「住吉の長屋」「直島プロジェクト」といった7つの代表的なプロジェクトの思考の痕跡を感じさせるドローイング作品、自作を安藤自身で撮影した写真、実際の建築物と同じ技法(鉄筋、コンクリート)で制作さてた模型作品の「光の教会」「住吉の長屋」の展示を観た。

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松竹大谷図書館。
銀座1丁目の松竹スクエア3階。
松竹株式会社の生みの親・大谷竹次郎が1955年に文化勲章を受章したのを記念して1958年に開館した、演劇・映画専門図書館
演劇(歌舞伎・文楽・新派・商業演劇)、映画、日本舞踊、テレビ等に関する書籍、雑誌、台本、写真、プログラム、ポスターなどを収蔵。資料数は45万点。

1877年生まれの白井松次郎(1951年74才で没)と大谷竹次郎(1969年、92才で没)という双子の兄弟が創立した「松竹」という会社の名前は、この兄弟の松と竹からとったものである。この二人は「東の大谷、西の白井」と並び称されていた。

大谷竹次郎
小学校卒。13才、九代目団十郎に感激し演劇事業への夢を持つ。25才、明治座の座主、松竹剛明。27才、代表社員。33才、東京は竹次郎、大阪は松次郎の体制。46才、関東大震災で映画館22館を失う。48才、松竹キネマ:社長は松次郎、専務が竹次郎。
78才、文化勲章。85才、勲一等瑞宝章。この両賞をもらった芸能関係者は大谷のみ。
歌舞伎の保護者・大谷竹次郎は、挨拶・スピーチの名人だったと多くの人が回顧している。
知仁勇の三徳を備えた人という評価もあったが、猜疑心と嫉妬心の強い人だったと回顧している人もいたのは面白い。
「わが刻ははすべて演劇」と言い切っているのはすがすがしい。

ミニ展示は「渥美清−−没後20年」展。

この図書館も経営が苦しいらしい。
リストラを避けるために、クラウドファンディングで238名から287万8千円を集めたと貼り出してあった。

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18時半:九段の文庫カフェで知研セミナー。
武原夏子さんからインターネットビジネスの話を伺った。

プラットフォーム。

  • udemy:大カルチャースクール。学びサイト。2015年上陸。ベネッセ。
  • クルテルアン:インフラづくりのために共同出資。PRの作り方指導も。ダイエット、ライティング、不動産、心の悩み、結婚、、。
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「名言との対話」7月21日。江藤淳

  • 「最後の最後まで仕事が続けられるように心がけ、そしてひと握りの理解者に囲まれて生を全うしたいものだ」
    • 江藤 淳(えとう じゅん、1932年(昭和7年]12月25日 - 1999年(平成11年)7月21日)は日本の文芸評論家、文学博士(慶應義塾大学)。東京工業大学慶應義塾大学教授等を歴任した。明治国家を理想とする正統的な保守派の論客として論壇で異彩を放つ。
    • 江藤淳、この人の本は評価も高く読者も多いのだが、何十年作家家業をやっていても、自分の本を読者が読んでいる姿を見たことがなかったそうだ。ところが、山手線に乗って座ったら向い側の紳士が自分の最新刊(山本権兵衛を描いた「海は甦る」だったか)を熱心に読んでいる姿をみた。江藤は驚き、またその姿と表情ををじっと感動を持って眺め続けたとのことである。勇気がなくて「その本の著者の江藤淳です」と声をかけることができなかたことを悔やんでいる。
    • 「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。」平成11年7月21日 
    • 「家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を1人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまったいまとなっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向って刻一刻と私を追い込んで行くのである」
    • 結局は、仕事と仲間、ということになるのだろう。