「夏目漱石 100の言葉」(矢島裕紀彦監修)
- 作者: 矢島裕紀彦
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2016/07/09
- メディア: 単行本
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- 百年の後、百の博士は土と化し、千の教授も泥と変ずべし。余はわが文をもって百代の後に伝えんと欲する」(森田草平宛て)
- 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。(「私の個人主義」から)
- 余は余一人で行くところまで行って、行き尽いたところで斃れるのである。それでなくては真に生活の意味がわからない。(狩野享吉宛て)
- ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感嘆詞を心の底から叫び出される時、あなた方ははじめて心を安んずることができるのでしょう。(学習院での講演)
- だから人を啓発する」ということは、先方で一歩足をこちらの領分へ踏み込んだ時に手を出して授ける時に限る(漱石の教育論)
- 君が生涯はこれからである。功業は百歳の後に価値が定まる。百年の後、誰かこの一事を以て君が煩とする者ぞ。(森田草平宛て)
- 君弱いことをいってはいけない。僕も弱い男だが弱いなりに死ぬまでやるのである。やりたくなくたってやらねばならん。(森田草平宛て)
- 僕は死ぬまで進歩するつもりでいる。君なども死ぬまで進歩するつもりでやればいいではないか。(森田草平宛て)
- 面白き中に面白からぬことのある浮世と思うが故にくるしきなり。生涯に愉快なことは沙の中にまじる金の如く僅かしかなきなり。(妻・鏡子宛て)
- 敬服しました。ああいうものをこれから二三十並べてご覧なさい。分断で類のない作家になれなす。(芥川龍之介宛て)
- 天下は太平である。ユックリと鷹揚に勉強してエライ者になって、名前を後世に御残しなさい。(行徳二郎宛て)
- 吾人の生涯中もっとも謹慎すべきは全盛の時代に存す。(高浜虚子宛て)
- 僕は十年計画で敵を斃すつもりだったが、近来これほど短気なことはないと思って百年計画に改めました。百年計画なら大丈夫、誰が出て来ても負けません。(高浜虚子宛て)
- 凝ったなりをして、そうして凝ったところを忘れているのがいいじゃないか。(森田草平宛て)
- 隣近所の賞賛を求めず。天下の信仰を求む。天下の信仰を求めず。後世の崇拝を期す。(森田草平宛て)
- 人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切にしてみたいものだ。(「三四郎」)
- 自己の天分のありたけを尽くそうと思うのである。(新聞のエッセイから)
- 女性の影響というものは実に莫大なものだ。
- 愛嬌というのはね、−−−自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。(「虞美人草」)
こう並べてみると森田草平宛ての手紙の言葉が多い。森田は漱石がもっとも愛した弟子だったのではないか。
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「名言との対話」7月27日。久留島武彦。
- 「継続は力なり。継続は勢力なり」
- 童話の神様、日本のアンデルセンと呼ばれている久留島武彦。
- 久留島は「口演童話」に60年取り組み、全国6000箇所で活動している。日本初の児童演劇団を結成した。生涯で120の童話を書いた。1950年5月5日に第一回童話祭を開催し日本一の童話碑を建てている。
- 玖珠郡玖珠町森の記念館が改修中で、仮設展示の図書館を訪問。三度の旅行を一緒にした野村徳七(野村証券の創業者)の援助で東京青山で早蕨幼児園を開く。幼児の一人に岡本太郎がいた写真があった。
- またイギリスで知ったボーイスカウトの日本での礎を築いている。ボーイスカウトの前身の東京少年団の役員をしている。第二回世界ジャンボリー大会では副団長も務めている。日本ではアンデルセン没50年祭を開催しアンデルセンの存在を広めた。
- 「こども」というテーマを長い年月追いかけた結果、そのテーマは童話、教育、ボーイスカウトへと広がっていった。そして一つの勢力を築きあげるまでになった。継続は勢力なり。