横浜そごう美術館「レンブラント リ・クリエイト展」。
世界を変えた芸術家の一人。
代表作「夜警」は34歳から36歳にかけて制作に没頭して完成した絵画だ。
34人の人物が描かれている。非対称で、しかも統一感のある構図。
この企画展で見ることができたのは「リ・クリエイト」作品だ。
デジタル技術を使ったリ・クリエイトという手法をもって「再創造」し展示している。
再創造は、この400年の間に失われたものを再現し描かれた当時の本物に挑んだものだ。
2102年に福岡伸一先生が監修した「フェルメール展」で初めて実験した手法を、今回はレンブラントに適用した。
近代オランダが生んだ光と影の画家・レンブラントの自画像。
1606年オランダのライデン生まれ。
25歳、アムステルダムへ移住。
28歳、結婚。長男・長女を設けるが死亡。
30歳から36歳、栄光の頂点を極める。
ダ・ヴィンチはライバルとして意識。集団の非対称性。
36歳、妻(サスキア)が死去。
50歳、破産。英蘭戦争でオランダの港が閉鎖されアジアとの貿易に大打撃があり多くのオランダ人が破産した。
63歳、死去。
−−−−−−−−−−−−−−
午後:荻窪の地域社会研究所。
落合社長と知研の八木会長、福島事務局長と編集会議。
−−−−−−−−
「名言との対話」。8月16日。津田梅子。
- 「何かを始めるのはやさしいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい」
- 津田 梅子(元治元年12月3日(1864年12月31日) - 昭和4年(1929年)8月16日)は、日本の教育者。日本における女子教育の先駆者。岩倉使節団に6歳の梅子は随行。二度目の留学後、1900年に女子英学塾を設立し塾長。
- 何かを思いついて始めるが、いつのまにか霧消。気がつけば、やりっぱなしの痕跡だらけ。常に困難が襲ってくるし、自分の側にも様々な事情が降ってくる。だから続けることはまことに難しい。そしてそれを誰の目にも見えるように成功させるには、幾多の困難を克服しなjければならない。津田梅子の女子教育も、周囲の無理解と自身の無力感を克服した難事業であっただろう。この言葉はその梅子の言であるだけに打たれるものがる。