貝原益軒−−高齢社会のモデル

義母の一周忌で群馬へ。

「名言との対話」8月27日。貝原益軒

  • 「聖人を以てわが身を正すべし、聖人を以て人を正すべからず。凡人を以て人を許すべし、凡人を以てわが身を許すべからず。」
    • 貝原 益軒(1630年12月17日(寛永7年11月14日) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者
    • 貝原益軒。福岡黒田藩の藩儒が退職を許されたのは71歳。それから著作に専念し、74歳から84歳まで「益軒十訓」と呼ばれる書物を書いている。「筑前国風土記」「五倫訓」「君子訓」(74歳)、「大和俗訓」(79歳)、「大和本草」(80歳)、「楽訓」「和俗童子訓」(81歳)、「五常訓」「家道訓」(82歳)、そして最後に有名な「養生訓」を書いたのは84歳であった。
    • 博学多識。旅の達人。80代で活発な著作。養生訓。つねに楽しみて日を送るべし。黒田藩の儒者。71歳で退官、以後著述活動。74歳で30巻の大著完成。78歳「大和本草」、損軒から益軒へ改名、84歳「養生訓」、85歳「慎思録」。
    • 「老人は一日をもって十日として日々に楽しむべし、常に日を愛惜して一日もあだに暮らすべからず」
    • 「古人は「人の朝早く起きると、遅く起きるとを以って家の興廃を知る」と言へり。「朝早く起くるは家の栄えるしるしなり、遅く起くるは家の衰ふ因なり」と言へり。」
    • 「老後は、わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに日をくらすべからず。」「 心は楽しむべき、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず。」「老人は一日をもって十日として日々に楽しむべし、常に日を愛借して一日もあだに暮らすべからず。」
    • 「知っていてもそれを行動に移さないのであれば知らない者となんらかわりは無い」「言語を慎んで無用の言葉をはぶき言葉数を少なくしなさい。喋れば喋るほど、気を減らし、また気が高ぶる。大きく元気を損なってしまう。言語をつつしむ事も徳を養い、身を養う道である。」
    • 埴原益軒は高齢社会のモデルというべき人物だ。71歳で黒田藩への宮仕えをやめて、著述に専念する。そして84歳で書いた著作が名著として後代に残った。この人の著作には人生を送る上での名言が数多くある。「志を立てることは大にして高くすべし。小にして低ければ、小成に安んじて成就しがたし。天下第一等の人とならんと平生志すべし。」と言うように、高い志を貫いた人だ。貝原益軒の言はもっと時間をかけてかみしめたい。