午前:地域リーダー養成塾で講演。午後:辺真一の北朝鮮講演を聴く。

午前:9時半から12時半。
市ヶ谷のアルカ
ディア市ヶ谷で、(一社)地域活性化センター主催の「地域リーダー養成塾」で講演。
毎年出講している。北海道から九州までの自治体職員が対象。平均年齢は35歳。約40人。
テーマは「説得から納得の政策形成へ 〜図解思考のすすめ〜」。

  • 目からウロコ。
  • 自分の頭で考えていこう。
  • 今日から実践。
  • 箇条書きの否定には驚いた。
  • おっしゃるとおり、県や国のコーピー。
  • 相関を意識した説明資料を心がけたい。
  • 実践の時間がよかった。
  • 自分の位置から出発するという発想がなかった。必ず活用。
  • 全体の構造と部分同士の関係を創りあげていく作業が楽しい。
  • 物事の考え方が変わった。
  • 次回の課題に生かしたい。
  • 新たな武器を手に入れた。
  • タイムマンジメントの要諦、なるほど。
  • 納得。
  • 世界言語。発達障害の子供の教育に活用したい。
  • 人事異動の引き継ぎに活用

午後:14時50分から16時5分。
リレー講座の講師は、コリアレポートの辺真一編集長。
テーマは「日本は北朝鮮とどう向き合うべきか」。

  • 北朝鮮は核(核搭載のミサイル、小型化)の能力を持っているだろう。
  • ソウルに落としたら、130万人の死者。東京に落としたら、50万人の死者。
  • 日本では根拠無き楽観論が支配。
  • アメリカは、金正恩が生存危機を感じれば、敗戦となれば、核兵器を所用すると予測。
  • そういうことが現実にならないようにしなければならない。
  • 北朝鮮はすでに2006年以降5回の実験を断行。制裁と実験のスパイラルエスカレート。イランは4回目の国連レッドカードで和解。イラクは7回のレッドカードで戦争突入。
  • 「制裁と圧力」路線では解決は無理ではないか。このままでは国連憲章41条の非軍事から、42条の軍事(海上封鎖、軍事行動)に移らざるをえなくなる。
  • ワシントンを標的とした実験を行えば、アメリカは自衛権行使で先制攻撃の可能性。先日の副大統領候補の討論でも双方ともそれに賛成。となれば、半島有事。
  • オバマ大統領の「戦略的忍耐」が現状を招いた。4代の大統領でも解決できなかった。
  • 中国。何もしない。小姑的で北は中国には反発あり。
  • 北はミサイルを持ったまま国をキープできるか?これは難しい。アメリカと北朝鮮が平和条約を結に国交正常化になれば、反米をやめると言っている。何度もチャンスはあったが解決までには至らなかった。
  • 解決には、軍事か平和条約かしかない。韓国が平和条約を呑むか?
  • 北朝鮮と日本の国交正常化になれば、日本は軍事費削減。
  • 北朝鮮に資源は600-700兆円規模で膨大。開発のノウハウ、資金、技術がない。だから日本と手を握りたい。現在は中国が独占。
  • 将来朝鮮半島が統一されるならば。リニア新幹線と日韓で海底トンネル(博多・壱岐対馬・プサン)。韓国からは二つの縦断道路。ウラジオからロシア。平壌から満州。終点はドイツとオランダ。
  • 北朝鮮地政学的に恵まれている。経済規模2位の中国、3位の日本、韓国経由で1位のアメリカとつながっている。
  • 日朝の拉致問題。今、大詰めの段階。安部総理に期待する。

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「名言との対話」10月6日。尾崎行雄

  • 「人生の本舞台は常に将来にあり」
    • 尾崎行雄(1858年ー1954年)は3つほど年上の犬養毅(1855年ー1932年)とともに憲政の神様と称せられている。慶應で学び、福沢諭吉の推薦で新潟新聞の主筆を20歳で務めているから才気があったのだろう。大隈重信から気に入られて39歳に時に文部大臣、55歳の時に法務大臣。10年間の東京市長時代は、市街地の改正・整備、水道拡張事業、下水道の改善、道路の改善・街路樹の整備、多摩川の水源の調査を行い、山梨県一之瀬の山奥の広大な三輪を、多摩川水源として買収し「給水百年の計」を樹立した。52歳の時に、アメリカ大統領タフト夫人との関係でワシントンに桜を贈る。一度目は害虫にやられたため、3000本を贈り、それが現在ワシントンのポトマック河畔を彩る桜に育っている。この桜を見るために1950年、91歳で訪米を果たし、育った桜を見る機会を得た。
    • 94歳で書いた「わが遺書」という復刻版の書物を購入して前書きを読んでみると、その気概に心を打たれる思いがする。太平洋戦争を「おどろきべき無謀、公算なき戦争」と評価し、「こんどこそ方向を誤ってはならない」と考え、後世に残そうと考えた言葉集となっている。「みすみす日本の陥る淵が眼前に渦をまいておるにもかかわらず、それが見えなかったのである」とも述べている。
    • 1890年の第一回総選挙での31歳での当選以来、1952年の第25回総選挙(94歳)までの60数年間の議員生活、当選25回という記録は誰にも破られないだろう。冒頭の言葉は、常に将来に備え続けたその尾崎の気概を示すものと受け止めたい。