本日封切りの映画「沈黙」を観た。
「沈黙」は世界20ヶ国語に翻訳された名作だ。昨年は原作発表から50年だった。
1549年にザビエルが鹿児島に上陸して以来キリスト教は普及していくが、1614年に徳川幕府は禁教令を発布し、その後弾圧にまわる。
1640年にカトリックの対抗宗教革命で誕生したイエズス会のフェレイラ神父が江戸幕府に捕らえられ棄教したという手紙が届く。弟子の二人の若い神父(ロドリゴ、ガルペ)が、棄教したキチジローの手引きでマカオから長崎に潜入する。外海、五島列島をさまようが、役人に捕らえられる。ロドリゴは沢野忠庵と改名したフェレラと再会するが、結局ロドリゴ神父も棄教し、日本名をもらい生活する。
この過程で信者に対する拷問に立ち会い「主よ あなたは何故黙ったままなのですか」とロドリゴは問いかける。沈黙を守った神は最後に踏み絵を「踏むがいい」と語りかける。
人を救うためにやってきたのに、人が拷問に会うという矛盾に遭遇する。信者の苦しみを見ながら信念を守るか、信者を救うために棄教するか、という究極の選択。
監督は世界的巨匠のマーティン・スコセッシ。少年時代にカトリック司祭を夢見た人であり、この企画は28年の歳月を経て実現したっものだ。
アメリカ映画だが、登場する日本人俳優の演技も素晴らしい。モキチ役の塚本晋也、井上筑後守のイッセー尾形、通辞役の浅野忠信、キチジローの窪塚洋介、、。
よくできているが、重い映画だった。
「名言との対話」1月22日。網野善彦「勝者には決し知り難い、敗者のみの知る人間の真実を、できうる限りつかみとり、それを未来に生かす道をひらくことこそ、近代史学をこえる新しい歴史学のなすべきことなのではなかろうか。」
網野 善彦(あみの よしひこ、1928年(昭和3年)1月22日 - 2004年(平成16年)2月27日)は、日本の歴史学者。専攻は中世日本史。
名著「忘れられた日本人」を書いた宮本常一の所属した渋沢敬三のアチック・ミューゼアムは、後に日本常民文化研究所となり、神奈川大学に吸収されて網野善彦の活動の場になる。網野は中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにした。その系統の中に赤坂憲男の東北学もある。隆慶一郎の時代小説、宮崎駿の「もののけ姫」にも影響を与えている。
網野善彦は膨大な著書を通じて日本史の通説に疑問を投げかけてきた。無縁、民衆、非人、遊女、悪党、海賊、職人、、など社会の底辺を見つめる目を感じる。勝者の歴史観である単一国家日本の歴史を敗者の目で照射することによって、新しい日本史を創ろうとしたのだ。この網野史観は今なお「日本とは何か」を問い続けている。
「名言との対話」(生誕日編)1月30日。鳥井信治郎「なんでもやってみなはれ。やらなわからしまへんで」
鳥井 信治郎(とりい しんじろう、1879年1月30日 - 1962年2月20日)は、日本の実業家、サントリー(現サントリーホールディングス株式会社)の創業者である。
2014年度NHK連続テレビ小説・竹鶴政孝夫妻をモデルとした「マッサン」で、主人公の大きな影響を与える鴨居欣次郎として登場している。
鳥井は、13歳で丁稚になり、20歳で鳥井商店(後に寿屋、サントリー)を創業し、赤玉ポートワイン、サントリーオールドなどのヒット賞品を生み出した。
「60何年、酒、酒、酒で苦労してきとる。なんぼバカでも、60年もやればものも分かりまっせ。お金もちいとばかりはできまっせ」
「人生はとどのつまり賭けや。やってみなはれ」
トップの仕事は後継者に心得を語ることではない。イノベーションこそが企業や組織の成長の源であるから、その種が内部から出てくるようにしかけをつくることがトップの役割だ。自由闊達な風土がアイデを産む。議論と評価から始めるではなく、まずやってみる、やらせてみることから始めよう。
「副学長日誌・志塾の風170120」
一般入試サテライト型入試。本部詰め。
会場:新宿。町田。横浜。藤沢。小田原。立川。
無事終了。