小川軽舟「俳句と暮らす」(中公新書)を読了。
著者は55歳のサラリーマン。単身赴任生活も5年を越えた。
藤田湘子の「鷹」主宰を引き継ぐ。毎日新聞俳壇選者などを担当する実力俳人だ。
平凡な日常をかけがえのない記憶として描き出すのが俳句であるという考えである。
「飯を作る」「会社で働く」「妻に会う」「散歩をする」「酒を飲む」「病気で死ぬ」「芭蕉も暮らす」という章構成で、俳句の楽しみをしみじみと語る逸作である。
- 食材には旬がある。だからほとんどの食材は季語である。台所に立って四季の移り変わりとともにある日常を味わう。春めくや水切り籠の皿二枚
- サラリーマンあと十年か更衣
- 男は妻を詠むと真実の自分が出る。女は夫を離れてこそ真実の自分が出る。妻来る一泊二日石蕗の花 職場中関西弁や渡り鳥 暑き日の熱き湯に入るわが家かな
- 俳句と暮らす人の散歩は、次に来る季節を迎えるための散歩なのである。俳句の勉強は、まずは歳時記をひもといて季語を覚えることである。平凡な言葉かがやくはこべかな
- 俳句という文芸には読まれるというプロセスが不可欠だ。置酒歓語。青桐や妻のつきあふ昼の酒
- 病中吟。俳句は病気と相性がよい。俳句に支えられる。死ぬときは橋置くやうに草の花
- 一年の未来ぶあつし初暦
「名言との対話」1月24日。「才能を疑い出すのがまさしく才能のあかしなんだよ。」
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776年1月24日 - 1822年6月25日)はドイツの作家、作曲家、音楽評論家、画家、法律家。文学、音楽、絵画と多彩な分野で才能を発揮したが、現在では主に後期ロマン派を代表する幻想文学の奇才として知られている。
1815年4月からは大審院判事に就任し、ホフマンは裁判官の仕事をしながら売れっ子作家として小説を書き、舞台を手がけ作曲を行ない、また多くの芸術家との社交にいそしむ多忙な生活を送った。裁判官と作家との二重生活を送り、病に倒れるまで旺盛な作家活動を続けた。
ホフマンには文学、音楽、絵画などあらゆる才能があったように感じられる。冒頭の言葉からは、自分の才能を疑い続けながら、活動を続けたことがわかる。
まったく才能が無い人は才能があるのではないかとは考えない。才能があるに違いないと思ってはいるが、時々自分には才能がないのではないかとの疑いがふっと脳裏をかすめる。そんなはずはないと工夫を重ねる。その繰り返しで才能は姿を現す。ホフマンはそういう過程を忍耐強く進んだ人だったのだろう。
「副学長日誌・志塾の風170124」