梅棹忠夫「知的生産の技術」(岩波書店)のfebeのオーディオブックを読了(聴き終わった)。
この本はいつも新しい。目からではなく、耳から情報が入るのも新鮮だ。
- 拙著「団塊坊ちゃん青春記」(多摩大出版会)が研究室に届いたというニュース。どんな本になっているか、楽しみだ。
- 「名言との対話(命日編)」の原稿整理が終了。
- 「週刊ポスト」の取材が急遽入ったため、九段サテライトの会議の後に文庫カフェで30分ほどの取材を受ける。生き方をめぐる企画記事への識者のコメントという立場。来週月曜日発刊。
「名言との対話」2月21日。永田耕衣「大したことは、一身の晩年をいかに立体的に充実して生きつらぬくかということだけである。一切のムダを排除し、秀れた人物に接し、秀れた書を読み、秀れた芸術を教えられ、かつ発見してゆく以外、充実の道はない」
永田 耕衣(ながた こうい、1900年(明治33年)2月21日 - 1997年(平成9年)8月25日)は、俳人。禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。
三菱製紙高砂工場のナンバー3の部長で終えた永田耕衣は若い時から俳人であった。55歳で定年を迎え、毎日が日曜日の40年以上に及ぶ「晩年」の時間を俳句や書にたっぷりと注ぎ、そして97歳で大往生する。「毎日が日曜日」を豊かに生きた人物である。
この人は芸術や宗教に徹した人々と深く付き合い、評価される創作活動に励む。一方会社員としてはハンディキャップを背負いながらかなりの昇進を果たし、1955年の定年までつとめあげている。二つの世界が共存し、大いなる晩年に向かって人物が大きくなっていく。その姿は城山三郎の「部長の大晩年」(新潮文庫)に生き生きと描かれている。
「亜晩年、重晩年、秘晩年、露晩年、和晩年、是晩年、呂晩年、綾晩年、些晩年」
「朝顔に百たび問はば母死なむ」
「衰老は水のごと来る夏の海」
「無花果を盛る老妻を一廻り」
「コーヒー店永遠に在り秋の月」
「秋雪やいづこ行きても在らぬ人」
「強秋や我に残んの一死在り」
「白梅や天没地没虚空没」
「枯草や住居無くんば命熱し」
「死神と逢う娯しさも杜若」
俳人・永田耕衣の晩年は職業生活よりも長く40年以上もあった。余生などではまったくない。本舞台だった。55歳まではそのための準備期間ともいえる。ここに大いなる晩年を生きた先達の姿がある。
「副学長日誌・志塾の風170221」