日本工業倶楽部にて寺島さんの「シルバー・デモクラシー」(岩波新書)出版パーティ。

午後、以下を訪問。

  • 下丸子:五十嵐賢治記念洗濯資料館(白洋舍創業者)。

 「副学長日誌・志塾の風170228」

夕刻、丸の内の日本工業倶楽部にて。

  • (一社)日本総合研究所の松岡所長と打ち合わせ
  • 寺島さんの「シルバー・デモクラシー--戦後世代の覚悟と責任」(岩波新書)出版記念講演会。

数百名の紳士・淑女たちが前のめりの姿で真剣に聴き入っている風景は圧巻だ。

シルバー・デモクラシー――戦後世代の覚悟と責任 (岩波新書)

中年の危機。使命感と出会い。小成。デモクラシーの危機。BEXITとトランプ。直接民主主義パラドックス。大衆操作。ジェネレーション・ギャップ。エラスムス構想。キャンパス・アジア。歴史認識。シルバー・デモクラシー。日本の民主主義の危機。宗教改革500年。ルター。ザビエル。アメリカ。ロシア革命100年。社会主義の幻想のおびえた100年。関東大震災治安維持法社会主義の自壊。マネーゲームの跋扈。グローバリスム。リーマン食。羅針盤のない状態。世代。2008年に人口ピーク。異次元の高齢化の進行。老人による政治。戦後世代は私生活主義(不干渉)と経済主義(金)。都市中間層(核家族・ニューファミリー)に期待したが。国道16号線沿い。単身世帯化。独居老人。

  • 懇親会

挨拶:岩波書店の岡本社長。カネカの菅原社長。佐高信「幾たびも背きし父の墓洗う」「馬鹿な大将敵より怖い」。桜ゴルフの佐川社長。

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寺島:BS週刊寺島文庫。寺島文庫世田谷ハウス。戦略経営塾150社。作品を積み上げることによって前進したい。

 

「名言との対話」2月28日。高山樗牛「己の立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらむ」

高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代日本文芸評論家思想家東京大学講師文学博士明治30年代の言論を先導した。31歳で夭折。

鶴岡出身。一高不合格、二高仮入学と、二度にわたって志望校に不合格。優等生を続けてきた樗牛に及ぼした影響は小さくなかったろう。

1900年には文部省から美学研究のため海外留学を命じられ、帰国後は京都帝大の教授が内定していた。しかし洋行の送別会後に喀血、療養生活に入り、洋行を辞退する。1902年には文学博士。日本主義、ロマン主義ニーチェ主義、日蓮主義など主張の変遷甚だしいのだが、明治思想史を駆け抜けたともいえる。

4歳年上の夏目漱石が「高山の林公」呼ばわりして、ライバル視した。「樗牛なにものぞ。、、只覇気を弄して一時の名を貪るのみ。後世もし樗牛の名を記憶するものあらば仙台人の一部ならん」と門下の小宮豊隆宛の手紙に書いている。樗牛に押されていた門下生を鼓舞したのだろう。

谷崎潤一郎は「何一つとして独創性の認められるものはないではあいか」「案外俗才があり、世渡りが巧かった」と厳しい。また鴎外、逍遥、嘲風らとの論争が多く、短い生涯のほとんどが論争の連続だった。

狷介でなかなかの難物だった高山樗牛だが、冒頭の言葉には惹かれる。己の立っている場所しか掘ることはできない。そこを深く、深く掘り進める。地下水に到達すると、その水はあらゆる分野につながっていることを発見する。それがわかるか、わからないかが勝負なのだ。