「副学長日誌.志塾の風」170616
橘川先生と懇談。
今日の授業のテーマは「東京都議会選」。新聞各紙の都議会選挙に関する社説などを材料に図解に挑戦。来週以降は各政党の公約を図解する。投票率が高まるだろう。
マグネットの岩澤さんと打ち合わせ打ち合わせ。ホームページのリンク切れの修復。名言の朗読、、
キャリアの企業の女性と名刺交換。田原さん、飯泉さん。
バスで大館市へ。
ホテルで明日の大館松下村塾での講演会の打ち合わせ。
市議会議員の佐々木こうじさん。
高橋さん。
安藤昌益。
狩野亨吉。
鳥潟隆三。鳥潟右一。鳥潟小三吉。
「名言との対話」。6月16日。松本良順「病人を救うのは医師としての義務である」
松本良順(天保3年6月16日(1832年7月13日ー明治40年(1907年)3月12日)は、江戸末期から明治期の医師。大日本帝国陸軍軍医総監(初代)。
1843年に佐藤泰然が創設した佐倉順天堂は歴代に渡り人物が不思議なほど継続して出ている。実子を後継者とすることにこだわらず、医者として有能な人物を選び養子とする考え方が代々受け継がれている。
松本良順は佐藤泰然の次男で、幕府医官松本家の養子となる。長崎でポンペの片腕として活躍する。健康のために牛乳と海水浴を進めた。
吉村昭「あかつきの旅人」、司馬遼太郎「胡蝶の夢」で主人公になっている。
冒頭の言葉は、若き日に指導を受けた師匠・ポンペの言葉である。今では当たり前のように聞こえるが、幕末の時代にあっては、人の身分は問わず、病人を救うのは医者としての役目だという思想は新しかった。そのポンペの思想を生涯守り、発展させ日本医学界の基礎を松本良順は固めた。