「サ高住」

今日の収穫。

-高杉良78歳「「最強の経営者」で最後にするつもりでした。けれども、自宅マンション近くの仕事部屋での1日の執筆が終わり、家路を急いでいると、新たな創作意欲がよく大事に高まっていくのです。」自伝小説「めぐみ園の夏」。(独自の企業小説・経済小説でファンが多い高杉良。自分でその仕事を終わりにしたが、自伝的小説を書いたら、創作意欲が戻ってきた。佐藤愛子の場合と似ている。高杉良はまだ若い。創作者は引退を考えるべきではない。)

-小池百合子「最終目標に至る道筋を小分けにし、乗り越えられる小さな目標に落とし込む方法です。その一つ一つを順にクリヤしていくことで、いつの間にかピラミッドの頂上に立っている。それが私の「成功術」の秘訣です」(小池百合子のピラミッドの頂上はどこか?)

-佐藤義雄「逆耳払心」(住友生命保険会長。九大法学部を私と同期で出た経営者。大学時代の思い出には共感した。座右の書は「菜根譚」)

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中津で「サ高住」を母と見学。部屋、サロン、入浴設備などのハード面はもちろんのこと、選択肢の多い食事、毎日のエンタメイベントの多彩さ、生活の自由度などのソフト面、そしてホスピタリティ溢れる対応などのヒューマン面、すべてに感心した。

 

名言との対話」。8月24日。平田篤胤「上見れば 及ばぬことの 多かれど 笠脱ぎてみよ  及ぶ限りを」

 平田 篤胤(ひらた あつたね、1776年10月6日(安永5年8月24日)-1843年11月2日(天保14年9月11日))は、江戸時代後期の国学者神道家思想家医者

復古神道古道学)の大成者であり、荷田春満賀茂真淵本居宣長とともに国学四大人(うし)の中の一人として位置付けられている。

 平田実篤は本居宣長の没後の門人である。篤胤の評価をめぐって門人は二派に分かれたが、篤胤の学説は幕末の尊皇攘夷の支柱となっていく。

「学問は本末を知るが大事でござる」

「なせば成る、なさねば成らぬ何ごとも、ならぬは人のなさぬなりけり」

冒頭の篤胤の言葉。自分の属す組織や社会では、上を眺めれば太刀打ちできない優れた人が山ほどいることがわかる。しかし、現在の自分を制約している笠を脱いで見渡す限り自由に眺めてみよう。そうすれば世界は広く活躍できる場は無限であることがわかる。笠とは自ら設定した限界であり、経験からくる偏見であり、狭い内部を意味している。