関厚夫『次代への名言--時代の変革者編』(藤原書店)を読了。
日本の品格:「武士道の系譜」「経営者列伝」「信長と秀吉」「晋作と松陰」
和華一如:「子、曰く」
著者は産経新聞の記者で、「名言」をテーマにしている人。
秋山好古「若いころはなにをしようかということであり、老いては何をしたかということである。」
正岡子規「人間のえらさに尺度がいくつもあるが、最小の報酬でもっとも多く働く人ほどえらいぞな。」
坂本竜馬「人間はなんのために生きちょるか知っちょるか? 事をなすためじゃ。」
西郷隆盛「イヤ生命(いのち)もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、と云った様な始末に困る人です。但し、あんな始末に困る人でならでは、お互いに腹を開けて、共に天下の大事を誓ひ合う訳には参りません。」
勝海舟「武士道は人道と云ふてさしつかへないよ。」
五代友厚「人と己の論、五十歩百歩なる時は、必ず、人の論を賞めて採用すべし。」
渋沢栄一「孔子を称して偉大なる平凡人というても適当であろう。」
徳川家康「天下国家を治めるものは、孟子をよくよく味ふべし。」
王陽明「人間というものは、現実にぶつかって錬磨するという修行を経てはじめて、大きく前に進む。」
吉田松陰「吾れの得失、当に蓋棺の後を待ちて議すべきのみ
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「副学長日誌・志の風」171019
研究室で書類の大整理。やっとスッキリ!
ラウンジ
・山本さん:T-Studio「名言との対話」。次回はセンテナリアン、日野原重明と片岡球子に。
・高野課長と趙先生
研究室
:知研の高橋茂人さん:パンフレットの更新。この週末に取り組むことにしようか。
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リレー講座:本日の講師は金美徳先生「朝鮮半島をめぐる国際政治と日本」
・核保有国:国連安保5ヶ国+インド・パキスタン・イスラエル+北朝鮮(?)
・金正恩の5年間:金日成46年間にミサイル15発。金正日18年間に33発。金正恩5年間に81発。
・拉致問題:2002年の小泉訪朝。2004年に5人帰国。日朝平壌宣言でグランドデザインを明確にした。その後13年間、動かない。
・北朝鮮の主張:1.核兵器保有国と認めよ。2.朝鮮戦争の終結を(米中北の休戦協定から米朝の平和条約を結べ。韓国の李承晩は拒否)
・北朝鮮:164ヶ国と国交。米・日・韓・台のみ国交がない。
・金正恩:33歳。母は大阪生まれ。7年間のスイス留学。6人兄弟の5番目。金日成軍事総合大学で情報工学、金日成軍事総合大学で砲兵指揮を専攻。三男。子供3人。妹は今回ナンバー4に。処刑140人。
・脱北者:3万人。日本にも0200人。
・経済:GDP3.6兆円(和歌山県)。韓国の45分の一(2.2%)。一人14.6万円(年)。月1.2万円。韓国の22分の一(4.6%)。3.9%成長、6年連続プラス。貿易マイナス23%。50ヶ国5万人の海外労働者で2000億円。4大経済戦略(IT・観光・労働者輸出・資源開発)。
・理論的分析:悲観論(日本)。楽観論(北朝鮮)。南北経済共同体論(韓国)。館理論(米国・中国)。利害関係論(欧州・ロシア)。
・地政学的分析:3層構造。民族問題(韓国と北朝鮮)。地域冷戦(米国・日本とロシア・中国)。国際冷戦(米国とロシア・中国)。
・モンゴル報告
・歴史的分析(朝鮮戦争史):国連軍は22ヶ国・100万人。北朝鮮は中ソを含め100万人。トルーマン・スターリン、毛沢東、李承晩、金日成。300万人が死亡(10%)。第二次世界大戦で日本は300万人が死亡(4%)。戦争孤児10万人。離散家族は1000万人。マッカーサー「中国への原爆使用を提案」、トルーマンは拒否し解任。
・北朝鮮「核は国体そのもの」。リビアのカダフィ(崩壊)。ウクライナ(ロシア侵攻)。イラン(トランプの破棄)。米の先制攻撃には中国は介入。
・圧力強化による対話交渉:軍事圧力。米国の先制攻撃(韓国人100万人死亡)。北朝鮮の先制攻撃(ソウルと東京で210万人死亡。770万人の負傷者)。武力衝突による経済損失は100兆円。北は10兆円の支援を求め、日米間は1兆円。ペリープロセス(核放棄の見返りに北の体制を保証)で雪解け、ブッシュ政権で方針転換。6ヶ国協議にペリープロセス反映、2003年以降未開催。2017年4月プーチン再開を提。
・金正恩との直接対話:核・ミサイル抛棄なら金正恩訪米を提案)
・仲介:スイス。9月にジュネーブで米朝の接触。スエーデン。ノルウェー。
・中露主導の安保グランドデザイン(2017年7月):中断、交渉、武力不行使原則、一括妥結、安保体制、米朝国交正常化。
・日本の課題:圧力だけで良いのか。日朝平壌宣言をもう一度働かせ(一度受け入れている)。半島の統一となれば8000fu万人の大国が現出、脅威。被爆国として北東アジアの非核化に向けてのグランドデザインを書け。
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夜は、品川の大学院で院運営委員会に出席。
「名言との対話」10月19日。高橋荒太郎「私は機会があれば何度でも経営方針を話します。なぜなら経営方針というものは、一度聞いただけでは分からず、何回も何十回も聞いて分かるからです」
小学校卒業後、商店で丁稚として働きながら神戸商業補習学校を卒業。朝日乾電池にはいり、常務。業務提携先の松下電器(現パナソニック)に途中入社し、専務、副社長をへて、会長。松下幸之助の片腕として,フィリップス社との提携,経営管理体制の整備につとめた。
戦後にベンチャーから始まり、日本を代表する大企業となったリーダーには彼を支えるサブリーダーがいた。例えばソニーの創業者である井深大には盛田昭夫がいた。本田技研工業の創業者、本田宗一郎には藤沢武夫がいた。同じように松下幸之助には高橋荒太郎がいたのである。
高橋荒太郎が言うように、リーダーは、方針について常に同じ話を繰り返し語り続けねばならない。繰り返し聞きながら、少しづつ理解が増していく。その都度、腑に落ちる部分が違う。自分の仕事や社会の動きの中で、自分の組織と自身の立ち位置が明らかになり、次第に確固たる信念として固まってくる。逆境を迎えた時、その確信がよりどころとなるのだ。「松下電器の大番頭」と呼ばれた高橋荒太郎は「会社を訪問したらトイレを見る。トイレが汚かったら、取引はしない。」とも言う。そういった人柄に心酔する人は今も多い。