「問題解決学入門」で講義--「図解思考を用いた問題解決の軌跡--私の問題解決人生」

1年生対象の「問題解決学入門」の講義を担当。担当は、彩藤先生、増田先生、野坂先生。

テーマ「図解思考を用いた問題解決の軌跡--私の問題解決人生」。以下、要旨。

・なぜこの科目ができたか

・大学時代:知的生産の技術の発見。自己否定と変格の時代。

・JAL時代:図解思考の発見と活用。企業と知研の狭間で武器を磨いた修行と改革の時代

宮城大学時代:図解思考の適用。図解一刀流で全方位に切り込んだ成長と飛躍の時代。

多摩大学時代:図解思考の応用と実践。大学全体の立て直しに取り組んだ貢献と完成の時代

・著作カル道=100冊以上。課題解決が本に。

・仕事=問題解決の連続=キャリアを磨く=人生鳥観図

・新規分野の開拓に挑み続けた探検精神。

・13年目を迎る「人物記念館の旅」という新しいテーマ:現在810館。「名言集」など4冊

・二つのライフワーク:日本人のアタマの革命(図解)トココロの革命(人物)。

下記写真は、終了後のレポート書きの様子。

担当の野坂先生からもらった受講生のレポートをすべて読む。よく理解してもらった。「驚いた」「びっくりした」、、、、、。

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ラウンジ

・野坂先生:レポートをいただく。私の近著「名言」「青春記」を手交。

・山本さん:T-Studio「名言との対話」の打ち合わせ

・高野課長:情報交換

 研究室

・近藤秘書と今週のイベントの配布資料等の作成。

・スケジュール調整

・川手課長:私学協のセミナー出席の件

湘南キャンパス

・安田学部長と懇談:人事

・学部運営委員会:TOEIC対応。外部委託。履修登録。留年。離学の数字と対策。就職の状況。、、、、(ディプロマポリシーの5つの体系化のアイデアが浮かんだ。理解・思考・表現・意欲・志。リテラシーコンピテンシー

 

「名言との対話」10月31日。蒋介石「仇に報いるに徳をもってせよ」

蒋 介石(しょう かいせき、繁体字:蔣介石1887年10月31日 - 1975年4月5日)は、中華民国政治家軍人

21歳年長の孫文後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして最高指導者となる。1924年孫文国共合作の方針を打ち出し国民政府を樹立する。翌年孫文は「革命いまだ成らず」との遺言を残して死去。後継者の蒋介石共産党の支援を受けて1926年に全国統一を視野に北伐を開始し、各地の軍閥を破り広州に広東政府を樹立した。蒋介石は1928年から1931年と、1943年から1975年に死去するまで国家元首の地位にあった。しかし、国共内戦毛沢東率いる中国共産党に敗れて大陸で毛沢東(1893-1976年)の中国共産党に破れた蒋介石は、1949年より台湾に移る。大陸反攻が叶わず1972年に台湾で89歳で没した。

2005年には青島(チンタオ)の蒋介石が住んだ洋館を訪ねたことがある。2010年に訪問した上海孫中山故居紀念館には孫文が可愛がった蒋介石の写真もあった。涼しい目とりりしい口もとのいい顔をしているのが印象的だった。2014年に訪れた台湾の孫中正紀念堂は孫文の記念館なのだが、6メートルの巨大な蒋介石像は国父・孫文像よりも大きかった。1940年代に毛沢東を殺すチャンスはあったのだが、蒋介石は躊躇して実行できなかった。優柔不断で部下に仕事を任せられなかったという評価もある。

1945年8月15日の終戦の日蒋介石が出した布告文が「仇に報いるに徳をもってせよ」(以徳報怨」)であった。「我々は、敵国の無辜の人民に汚辱を加えてはならない。彼等がナチス軍閥に愚弄され、駆使された事に対し、むしろ憐憫の意を表し、錯誤と罪悪から自ら抜け出せる様にするのみである。銘記すべき事は、暴行を以って暴行に報い、侮辱を以って彼等の過った優越感に応えようとするならば、憎しみが憎しみに報い合う事となり、争いは永遠に留まる事が無いという事である。それは、我々の仁義の戦いが目指すところでは、決してないのである」。この儒教思想によって台湾は日本に対する賠償を放棄した。しかし、日本兵として戦って亡くなった当時の植民地の台湾の軍人8万人(戦死者3万人)・軍属軍婦13万人には、日本国籍を有しないという理由で遺族年金・軍人恩給等の「戦後補償」は行われていない。この点は深掘りしたい。