磯田道史『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』--ー「歴史をつくる歴史家」

磯田道史『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』(NHK出版新書)を読了。

 「あとがき」(『この国のかたち』と「あとがきの後」(「二十一世紀を生きる君たちへ」「洪庵のたいまつ」)は再読したい。また大阪の適塾も訪問することにしたい。山陽の『日本外史』と蘇峰の『近世日本国民史』も手にしたい。

「司馬?太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

国民作家・司馬遼太郎歴史小説家ではあるが、むしろ「歴史をつくる歴史家」と呼ぶ方が正しくその実像を現しているというのが磯田の見立てである。

磯田が「歴史をつくる歴史家」という最大限の評価をしているのは、南北朝の興亡史『太平記』の作者・小島法師武家の興亡史である『日本外史』22巻を著した頼山陽織田信長から始めて国民国家日本の成り立ちの歴史『近世日本国民史』100巻をものした徳富蘇峰、そして日本の歴史を書き換えた司馬遼太郎である。

司馬遼太郎は自身の軍隊経験をもとに、昭和前期に成立した軍事国家日本が、なぜ軍事力の暴走によって無謀な戦争で国を壊滅させたのかを明らかにしようとして『国盗り物語から始まる』戦国、幕末、明治の日本を描いた。

司馬史観によれば、大革命というものは、最初に思想家(吉田松陰)があらわれ非業の死を遂げ、戦略家(高杉晋作)の時代に入り、そして技術者(村田蔵六)の時代になり完成する。予言者、実行家、そして権力者(山県有朋)が順番にあらわれると同時に革命の腐敗が始まるのだ。

司馬遼太郎の明治国家観では、政治の薩摩、官僚の長州、自由民権の土佐、人材供給の佐賀、教育の会津、文化と技術の加賀、そういった多様な人材が明治政府に集合し、革命を成功させたということになる。江戸時代の遺産が明治に実ったのが明治維新である。明治の特色は格調の高いリアリズムの浸透であり、それは独創を生むリアリズム(秋山真之)と、不合理な精神主義のリアリズム(乃木希典)で構成されていた。

日露戦争で勝利をおさめた1905年から1945年の太平洋戦争の敗戦に至る40年間は鬼胎(鬼っ子)の時代である。その鬼胎の正体は輸入したドイツから輸入した参謀本部に付着していた「統帥権」だった。統帥権天皇が持つ海軍を指揮する権限であるが、陸軍参謀本部と海軍軍令部が運用した。この超法規的な統帥権が昭和になって化け物のように肥大化した。日本国の胎内にべつの国家ー統帥権日本ーができたのである。

司馬遼太郎が生涯をかけて書き続けた歴史小説の「あとがき」が、『この国のかたち』であると磯田は言う。その「あとがきの後」が、『二十一世紀に生きる君たちへ』であり、『洪庵のたいまつ』である。

歴史家である著者が、鳥瞰的に司馬遼太郎を論じたわかりやすい、そして納得感の高い本になっている。この本は2017年5月発行で12万部となっているが、さらに売れ続けるだろう。

 

「名言との対話」11月19日。ドラッカー「21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく」

ピーター・ファーディナンドドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、ドイツ語名:ペーター・フェルディナント・ドルッカー 、1909年11月19日 - 2005年11月11日)は、オーストリアウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人経営学者。マネジメントの発明者。

『断絶の時代』『イノベーションの条件』『プロフェッショナルの条件』『ネクスト・ソサイエティ』など、ドラッカーの名著の大半は60代以降の作品である。そういう意味ではドラッカーは遅咲きの人であったともいえる。

「いかなる事業にあろうとも、トップマネジメントたる者は、多くの時間を社外で過ごさなければならない。ノンカスタマを知ることは至難である。だが、外へ出ることだけが知識の幅を広げる唯一の道である。」

「効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。

「貢献に焦点を合わせることによって、コミュニケーション、チームワーク、自己啓発、人材育成という、成果をあげるうえで必要な基本的な能力を身につけることができる。」

「未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである。一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである。」

「不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである」

「まず何よりも、変化を脅威ではなく機会としてとらえなければならない。」「我々は今いる人間をもって組織をマネジメントしなければならない。」「ビジネスには二つの機能しかない。マーケティングイノベーションである。」「成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである。」「成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである」「成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である。」

千葉市美術館で「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」展をみた。絵画を見つめる目の確かさと、絵画の本質を見抜、それを彼の名著の中に出てくる胸に刺さるような的確な言葉で表現しており、メモを熱心にとってしまった。さすが、ドラッカーだと改めてこの知の巨人の存在感に感銘を受けた。書斎には常に日本画が飾ってあった。執筆に疲れた時、ドラッカーは日本の山水画の中に入り遊んだ。そして正気を取り戻したのである。「正気を取り戻し、世界への視野を正すために、私は日本画を見る」というドラッカーは、日本美術の愛好者であり、研究者であり、そして収集家であった。

ドラッカーは1909年に生まれて2005年に亡くなっている。1909年生まれの日本人には、松本清張太宰治中島敦大岡昇平埴谷雄高らがいる。太宰治はずいぶんと昔の人のように思えるし、1992年まで健筆をふるった松本清張よりも10年以上長くドラッカーは活躍しているから、同時代を生きた感覚もある。やはり生年よりも没年が大事なのだと思う。

 経営の神様、P・ドラッカーはカリスマ型のリーダー論ではなく、手段としてのリーダーシップを論じている。そのポイントは「責任と信頼」である。言動の一致、一貫性ある発言などをリーダーシップの条件としている。それを踏まえた上で、今ビジネス現場で求められているのは、ファシリテーターという感覚で問題解決にあたっていくリーダーであると思う。そのためには、時代の尾変化に敏感であること、新しいものに興味を持ち続けること、そして勉強し続けることが必要だ。自己を常に革新していこうとする気概を持つ人でなければ今後のリーダーはつとまらない。