午前中、立川で所用を済ませた後、荻窪の太田黒公園の中にある「太田黒記念館」を訪問。
九段サテライトで、杉田学部長からの相談。
松井先生と面談
インターゼミ。
提出してもらった各自の「新年リゾルーション(2018年に挑戦したいこと。人生において挑戦し、実現したいこと)」を題材に、教員3名、学生4名、院生1名に発表してもらう。
学長講話。
ショッピングモール。玉川高島屋(1969年)がショッピングセンター。1970年代にハワイノアラモアナS/C、消費の文化空間。モール(Mall),遊歩道の左右に店、木陰道。「ひまつぶし」。百貨店の行き詰まり(2000年450、2016年200に半減)。スーパーマーケットも食品をのぞき減少。
「時代」:1世帯当たり年間40万円の消費の減少。貧困化。衣(32%減)住(18%減)、製造小売りのユニクロ、お値段以上のニトリのみ。デフレ型ビジネスモデルの隆盛。寡占化の進行。テーマパーク人口は7000万人(ピーク8000万人)、ディズニーとUSJのみ隆盛。ジャニーズ・秋元軍団が流行、ネットで加速。
若者は不満(怒り、、)はない。不安(おびえ)がある。自分で力をつけていくしかない。
「歴史意識」:歴史の中で自分をどう位置づけるか。価値座標軸の多様性。西洋中心史観、中華史観、ユーラシア史観、、。相対化して考える。無間地獄に陥らないように。全体知。自分のものの見方をつくっていく。
「ジェロントロジー」:安定企業はない。東芝、銀行、、。自分でつくっていく根性、自分とは何ものか。
「生命科学の進歩」:6万年前にアフリカからのグレイトジャーニー。日本列島38万年前。東アジア史。純粋日本人などいない。1.2%の違い。人間の特徴=言語と意思疎通。暦書の進歩=不条理の克服。2500年前、ブッダと孔子。2000年前、キリスト。利他の精神の登場。それが宗教。自分を見つめる怖い眼(神、天、、).認識(論理的)と意識(アースライズ時の涙、感動)。宗教は認識でなく」意識。AIは目的合理性。人間は利害打算だけでは動かない。仏教の九識=5識。6識(理知・感情)、7識(末那識)、8識(阿頼耶識)、9識(阿摩羅識)。自分を超えるもの。思想。哲学・宗教・価値観、、を磨かなければ人生100年に対処できない。
年末に提出した論文の指導教員のフィードバック。
18時半からインターゼミ教員の新年会。杉田、金、バートル、水盛、グローバルの韓先生も。
「名言との対話」1月6日。加藤芳郎。「ちょっとだけ一生懸命という余裕があると、物の本質や形がわりと見えてくるものだ」
加藤 芳郎(かとう よしろう、1925年6月25日 - 2006年1月6日)は、日本の漫画家、放送タレント。
漫画「のらくろ」や「冒険ダン吉」に熱中し、小学校5年生の時に、「僕は漫画家になってやる」と心に誓う。敗戦後の生活も、「僕には漫画がある」と苦にはならなかった。
1948年独立。1954年から毎日新聞夕刊で連載された『まっぴら君』は、2001年6月23日掲載を最後に病気で中断するまで連載47年間、13615回に達し、全国紙では空前の連載記録を樹立した。
一生懸命のコンクリート詰めになると、かえってものが見えなくなってしまう。それが他人からは少しおかしく見える。人生意気込まないで肩の力を抜いて、ぽつぽつと楽しくやろう。その精神で描いたのが加藤の漫画だ。
『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(日本テレビ)の司会、『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)パーソナリティー、『連想ゲーム』(NHK総合テレビ)の白組・男性軍のキャプテンなどで親しまれた。特に「連想ゲーム」では、洒脱な話術とヒントの出し方で人気を博した。この1969年から22年間続いた看板番組「連想ゲーム」での活躍は記憶にある。 「本職のほかにもう一芸、プロ級の腕を身につけたいもの。そこに気持ちの余裕が生まれます。それがバランス感覚というものじゃないでしょうか。」という加藤のもう一芸は、テレビタレントだったのかも知れない。
一つのことを長く続ければチャンスに巡り会える。加藤芳郎が漫画家になったのも、タレントとして親しまれたのも、長く続けたからだ。運もツキも長もちの結果として手に入る。人生は何もしないと長すぎるし、しかし何かをしようとすると短すぎるのだが、加藤芳郎は漫画という本職と、それが引き寄せたテレビタレントの二足を履き、バランスのとれた80年の人生を送ることができたのだろう。
(参考『加藤芳郎の仕事も人生もプロでなくちゃ』(加藤芳郎))