インターゼミの打ち上げパーティ。

 インターゼミ(社会工学研究会)の論文提出日。17時から19時まで、文庫カフェで打ち上げパーティ。

2009年からの9年間で、のべ参画者数は、学生・院生298名。教職員は136名(実数32名)。インターゼミ卒業生は72名。

本日の参加者は、現役25名。OB23名。教員14名。職員3名。

 

 

  サービス・エンターテイメント班。f:id:k-hisatune:20180127234540j:image

 

 AI班。f:id:k-hisatune:20180127234600j:image

 

 

 

 アジアダイナミズム班。

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 多摩学班。

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「名言との対話(平成命日編)」1月27日。大原富枝「何が寂しいものですか。読みたい本も、考えることもたくさんある。年をとることって、楽しいですよお」

大原 富枝(おおはら とみえ、1912年9月28日 - 2000年1月27日)は日本小説家

高知県生まれ。高知女子師範在学中に結核にかかり、療養中に文筆活動を始める。1938年に『祝出征』が芥川賞候補になる。。29歳、戦後の混乱期に上京し創作に活動を本格的に開始する。『ストマイつんぼ』(1956)で女流文学者賞を受賞。1960年『婉という女』を発表し、毎日出版文化賞野間文芸賞を受賞。洲之内徹岡倉天心とプリヤンバダ・デーヴィー、原阿佐緒建礼門院右京大夫、津田治子、三ヶ島葭子、牧野富太郎などを描いた優れた評伝も多い。 

1976年にはカトリック教会の洗礼を受けた。1990年、叙勲を機に故郷に大原富枝文学館が開館。後に東京の書斎が移築された。1992年には大原富枝賞が創設される。2000年の葬儀では天皇・皇后両陛下の弔意が伝達された。

「私が書く作品はあくまで「負の世界」に生きて徹するものばかりです。なぜ中途半端な幸福などを書く必要がありますか。人間は、そして女性は、最初から「負」を背負って生きてきて、「負」を埋めるために生きているものなのです」

「抗うことはあるときは生きることそのものであり、生命の燃えることだと思います。抗うには能力が必要です。抗うことでその人の能力がわかるのです」

10代後半から20代後半にかけて大病をした大原富枝は、「負の世界」で運命に抗う人間、女性を描いた作品で多くの人々の共感を得た。ソ連をはじめ世界各国で翻訳出版されている代表作『婉という女』では幼時から 40年間の幽閉生活を強いられた婉の生涯をたどりながら絶対的な孤独を描き、悟りの境地に達した婉を描いた。幽閉生活を送った婉と同様に長い療養生活で孤独の闇を知っている大原富枝は、運命に抗う生命力で楽しく、そして逞しく年を重ねたのだろう。『婉という女』を読み、大原富枝文学館を訪ずれることにしたい。