上野の国立西洋美術館の「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」。

上野の国立西洋美術館の「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」。

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 ベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代の17世紀バロック期のスペインの画家で、マネが「画家中の画家」と呼んだ巨匠である。

才能豊かなベラスケスを「二足の草鞋の人生」という観点から眺めてみたい。

24歳で「王の画家」になったベラスケスは。宮廷官吏、宮廷警吏、王の私室取次係、王室衣装係、王室侍従代、王室配室係、王室配室長と栄達を極めていく。有能な官僚だった。1660年のマリア・テレサの婚儀での采配し、「夜に旅し、昼に働くという日々の連続」というハードなスケジュールをこなしている。王宮内の雑務すべてを掌握し、監督し、改宗ユダヤ教徒の家系という負の遺産を背負ったベラスケスは、貴族にしか認められないスペイン最高位の一つである名誉あるサンティアゴ騎士団への入団が許された。

しかし、それに連れて画家としての時間はなくなっていった。本来の画家の職務以外に、激務の何倍もの時間を宮廷職に費やさざるを得なかった。王の寵臣の喜びと哀しみは裏表だったのである。

宮廷画家としては、ベラスケスは生涯で120点しか描いていない。主として肖像画を描いた。本人は若い頃から遅筆であったといわれるが、時間がなかったのである。そのうち7点がスペインのプラド美術館からやってきた。

・「ファン・マルティ・モンタニェースの肖像」(制作中の彫刻家を描いた)

・「メニッポス」(哲学者)。

・「マルス」(軍神マルスの放心状態)

・「狩猟服姿のフェリペ4世」(長い銃を持ち猟犬を従えた姿)

・「バリューカスの少年」(矮人の肖像家)

・「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」(王子の顔から緑の丘陵。近代的描法、吉田秀和は「絶対色感」と述べた)

・「東方三博士の礼拝」(描かれた人物はベラスケス自身や周辺の人物)

22歳年上のバロック期フランドル画家ルーベンス1577年6月28日 - 1640年5月30日)は、ベラスケス(1599年6月6日(洗礼日) - 1660年8月6日)がロールモデルとした友人であり、ライバルであった。

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「名言との対話」3月26日。山口誓子「私はただ事に当って全力を尽くしただけのことである」

 山口 誓子(やまぐち せいし、1901年明治34年)11月3日 - 1994年平成6年)3月26日)は京都府出身の俳人

虚子の名は、清からでた。誓子は、本名の新比古(ちかひこ)を二分して「ちかひ」を誓、「こ」を子を当て、「ちかひこ」と名乗った。虚子が「せいし」君と呼んだので、そのままになった。

25歳に住友合資会社で働き、病気療養を経て41歳で退社している。47歳、『天狼』創刊。56歳、朝日歌壇の選者。誓子は病気療養中でも、一日も作句を怠ることはなかった。

誓子の俳句に連なる巨人たちの論評がいい。

芭蕉:「よく物を見る」は」芭蕉に始まった。「句整はずんば、舌頭に千転せよ」。

子規:自得悟入型のひと。絵画の写生を俳句、短歌、文章に適用し、そのおのおのを新しくスタートせしめた。

虚子:子規の教えに従って、俳句を進展せしめたのは虚子。文章を進展せしめたのも虚子。写生文の流れは虚子、左千夫を経て漱石長塚節を生んだ。

茂吉:素材拡大の精神を学んだ。近代と西洋。「実相観入」。現実に入って感動し、具象的表現を得て外へ引き返す。短歌を進展せしめたのは茂吉。

誓子は、ケーベル先生の如く「余は常に多くのことを学びつつ老いる」ことを念願する者であると述べ、見たり、聞いたりした事物のメモをとって置き、そのメモを土台にして句をまとめていく。

以下、俳句論。

・俳句は日常的なものに深い意味を読みとる詩である。作者は日常的なものに深い意味を読みとる眼を養わなければならぬのである。・即物具象。即物は観照の段階。具象は関係付けを得て出てくる表現の段階。・物と物とが照らしあわしているという相互関係が必要なのだ。その物と物とがぶつかりあって、火花を散らさなければならぬのだ。そこが短歌とちがうところである。・私の俳句方法は、「物」から入って、その内部の、眼に見えざる関係を捉え、引っ返すときに、又、「物」から出てくるのである。・物は変化して一瞬もとどまることはない。しかし物は他の物と関係しながら変化する。俳句は、その物と物との関係をとらえて物を定着すり詩である。・物は他の物と関係しながら変化している俳句はその物と物との関係をとらえて定着すり詩である。この俳句信条を私は般若心経から学んだ。

以下、選者論。

・選者には俳句観が確立していなければならぬ。俳句がいかなる詩であるかという考えが確立していなければ、他人の句をさばくことができない。選者は自己の俳句観に照らして俳句のよしあしを決め、あたこれは俳句なり、これは俳句に非ずと篩い分けるのだ。・選者は他人のよきところを伸ばさねばならぬ。それによって他人の進むべき道を示すのだ。選者はそのような指導者であり、教育者である。

 

 凧の糸青天濃くて見えわかぬ

 除夜零時過ぎこころの華やぐむ

 日本がここに集る初詣

 

 57歳では、なりたい職業はなかったが、「ただ事に当って全力を尽く」すという態度を貫いた結果、俳句につながる現在の職業が、うってつけの職業になったと語っている。ここに天職の秘密がある。

(参考)『山口誓子 俳句十二か月』(松井利彦