第2回研究ブランディングタスクフォース戦略会議。

「副学長日誌・志塾の風」180330

第2回・研究ブランディングタスクフォース戦略会議。

・研究委員会、総研、大学院などから報告。

・社会科学研究者として、大都市郊外型高齢化に立ち向かう覚悟。

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・現代日本の社会構造と社会心理の変化---静かに進行する内向と屈折(学長メモから)

21世紀日本の貧困化と中間層の没落--「不安」の心理の蔓延

・勤労者世帯可処分所得の圧縮(1997年のピークから年間80万円減少(17年))

・消費の低迷(全国全世帯の家計消費は21世紀の17年間で年間40万円減少)

・貧困なる高齢化社会の予感(40-50代世代は過去20年間右肩下がり時代。蓄積、資産、貯蓄のない高齢者となる可能性大。二極分化。4割が下流老人(年収200万円以下、金融資産なし)

・鏡としての若者の潜在心理における「不安」(不満花井が将来が不安。仕事に情熱:米国32%、日本8%。非正規雇用35.2%、その74%が200万以下)。

生活保護213万人(2017年に水準引き下げ。格差と貧困)

国家主義、国権主義への誘惑

帰結としての内向=縮む日本と心理的焦燥としての右傾化

・中国の台頭とアジアダイナミズムへの幻覚(優越感の喪失と自失)

・2000年:中国のGDPは日本の4分の一、2018年日本の2倍

・押しかける中国人(大中華圏から1400万人への屈折した心理。不快感と爆買期待

・日本を自賛する空気の蔓延(「すごいぞに日本」心理)

・異次元高齢化社会の到来(1.26億人。100歳以上7万人。80歳以上1000万人超。65歳以上3500万人超。シルバーデモクラシー(老人の老人による老人のための政治)。2050年:1億人。100歳以上53万人。80歳以上1607万人、65歳以上3841万人。

21世紀に際だって変化したもの--フェイクと過剰同調

・ケータイの普及とネットワーク情報革命の進行(情報環境への依存と考える時間の喪失)

・アナログからデジタルへ(生身の人間観の希薄化)

スマホ人生(検索で生きる)

・コンビニの浸透(4.5万店)とショッピングモール(3500)。コンパクトな幸福空間、幸福家族の原風景)

・AKB、ジャニーズ、ご当地アイドルに熱狂する時代(至近距離のアイドル。創造よりも平準)

・ディズニーランドとUSJの寡占(幸福に見える疑似空間、疑似体験への陶酔。かわいいという浅薄でファジーな価値観。現実社会からの逃避)。皆と同じ行動)

・迫り来るAI時代への緊張(シンギュラリティは2030年代か。仕事の6割がAIに。人間は何をするのか、創造性。働き方改革パラドックス

物事の本質を深く構造的に思索する必要性

・知の再武装人生100年時代。・生命科学とAI。時代認識。社会工学NPO)。思想・哲学・宗教)

・ジェロントロジー(高齢化社会工学)

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目黒の東京都美術館(旧朝香宮邸)。

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 「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」展。

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新宿で池淵さん(日本総研客員主任研究員)と多摩大出版会の打ち合わせ。

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「名言との対話(平成命日編)」3月30日。佐藤忠良「底光りするような個性というものは、競技者が一番でゴールに入るときの鍛錬にも似て、作家人生の終盤に出るのが本当ではないだろうか」

佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は日本彫刻家

1944年、32歳で出征する。33歳、ソ連の収容所3年間抑留される。36歳、復員。ここから本格的な彫刻家人生がようやく始まる。40歳、「群馬の人」が国立近代美術館に収蔵される。48歳、高村光太郎賞。54歳、東京造形大主任教授。62歳、芸術選奨文部大臣賞。74歳、生誕地宮城県に全作品を寄贈を表明。78歳、宮城県美術館佐藤忠良記念館が開館。83歳、宮城県大和町佐藤忠良ギャラリー。96歳、札幌に佐藤忠良記念子どもアトリエ。98歳、2001年3月30日、老衰のためアトリエ敷地内の自室で没した。

生前、日本芸術院会員に推薦され、文化功労者文化勲章の候補にも選ばれたが、本人は「職人に勲章はいらない」と語り、これら国家の賞を全て辞退した。

佐藤忠良ロダン高村光太郎の後継を意識していた。それは人間を中心に据えた造形であった。毎年「今年の抱負は」と聞かれて、毎年「去年の続き」と答えてきたという。つまりはたゆまぬ継続が信条なのだろう。自身の自称は「彫刻の職人」である。

シベリアの抑留生活は大変だったでしょう」と聞かれたとき、わらって「彫刻家になるための労苦をおもえばあんなものはなんでもありません」といってのけた。

2011年に世田谷美術館で開かれた「ある造形家--佐藤忠良」展も見た。そこで得た言葉。「絶えず「目と心と技術」の訓練をすることです。彫刻家は一個の像の中に主題のための「空間」と「時間」をできうる限りつめこまねばならない宿命を持たされていて、それには高度な精神と技術が必要になってくるからです」「デッサンは作者の目と心の硬化を防ぐ息の長い体操のようなものです」「段取り半分」。

「、、死ぬまで低空飛行ができたら素晴らしいなと考えている。もう上昇はできないし、いつか減速して下降するのだろうが、この低空飛行の持続は、よほどの浮揚力の蓄積がないと失速墜落ということにもなるだろう」。「彫刻家と人が認めてくれたとき、五十歳を越えていた」遅咲きの人・佐藤忠良は強い浮揚力で滑走路に足がつかないように低空飛行を長い期間続け、作家人生の終盤にようやく底光りする個性と品格を表現できたのだろう。

 

つぶれた帽子(中公文庫 さ 58-1)