「知研フォーラム240号」が届く。

 知研フォーラム240号が届く。

・3月3日の総会報告。

・5月のセミナー案内:5月25日。中国国営企業の買収交渉と新会社運営官吏から判った中国の実情」。講師は猪俣範一氏。

・黒川康徳「客体化に陥った現代社会」

・セミナー報告:矢矧晴一郞「後天的天才教育法」

・セミナー報告:三嶽豊&みたけきみこ「薩摩おごじょとあづま男のわがまま文化論」

・連載:八木哲郎「知研のはじまり」

・八木哲郎「八路軍の研究:中国共産軍の長征」

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私の連載「読書悠々」の今回は、「平成命日編」。

-河原淳「ぼくの人生はおおかたのぞきに費やされてきました」。『雑学人生のすすめ』(新人物往来社

-小西和人「釣りに国境なし」。『楽しみを釣る』(エンターブレイン

-松本重治「日米関係は日中関係である」。『上海時代』(中公文庫)

-淡路恵子「体から心まで、とにかく自分のことは自分で官吏していないと女優はつとまらないわよね」。『死ぬ前に言っとこ』(廣済堂出版

-坂田道太「むしろ素人の方がよい」。佐瀬昌盛『むしろ素人の方がよい』(新潮選書)

-大島渚「情報もいいでしょう。でも生の体験は強い」。『大島渚-日本を問い続けた世界的巨匠』(河出書房新社

 

 

「名言との対話」4月8日。清家清「家とは単なるハウスではなくホームであるべきだ」

清家 清(せいけ きよし、1918年12月13日 - 2005年4月8日)は、日本建築家

 父は機械設計製図で知られる機械工学者・清家正、息子は経済学者で慶応義塾塾長の清家清。

戦後、公的融資は面積15坪、およそ50平方メートルまでに制限されていたため、清家はワンルームという前代未聞の答えを出して建築面積50平米のワンルームを家をつくり、親子4人で暮らす。 この家はトイレにも扉がないことで有名になる。長女は「多分父は家族の中で嘘をついたり隠し事をするのはあまりいいことではないので、隠すようなものはないはずなのだからトイレにべつにドアがなくてもいいじゃないかということでした」と述懐している。

 1983年の清家清編著『男の城の設計図-書斎のある生活』(ダイヤモンド社)には、声楽家の立川清澄、作曲家のすぎやまこういち、日本経済研究センター理事長の金森久雄、などの書斎が取り上げられている。この本は「価値ある情報・別冊」の『書斎の復活』シリーズから編集したものだ。私たちの仲間で講談社から『私の書斎活用術』を出したのも1983年だった。ビジネスマンに書斎願望が出てきた時代だった。清家清はこの本で「今、男らしくなる、ということは知的ポテンシャルを高めることである」 と宣言している。『知的住居学』では、「シンプルな住まいこと、もっとも知的な住居である」「シンプルライフ&ハイ・シンキングの住まいづくりを」などを主張している。

「漢字には、住まいを指すのに二つの文字がある。すなわち「宅」と「家」である。この場合、宅はハードウェアとしてのハウス、家はソフトウェアとしてのホームにあたる」。だから清家は路上生活者のことを、ホームレスというが、厳密にはハウスレスというべきであろうと言っている。「よい家とは、お金をかけるだけではなく、本当に末永く愛着をもって住めるかどうかがキメ手なのである。ひとつひとつの部屋や場所にいるとき、この部屋で育ってきた、私はここを使って生活してきたのだ、と実感できるもの、そういうものがかもしだす生活のにおいが、われわれにやすらぎを与えてくれるのである」。ハードのハウスはつくったが、ソフトウェアとしてのやすらぎを与えてくれるホームをつくることに失敗しないようにしたいものだ。

男の城の設計図―書斎のある生活 (1983年)

知的住居学 (1979年) (Century press)