久しぶりの仙台には、昼前に到着。
まず、メトロポリタンホテルで横野さんと富田さんと食事。
-----------------
一番町の第一生命タワービルで「知研東北」設立総会・講演会。
東北各地からメンバーが参集。
総会
・高橋副理事長あいさつ」知研の再興。50周年行事。沖縄・九州・宮島。岡山・関西。北海道、、。
・全員で名刺交換
・記念撮影
・岡山の伊藤会長:知研岡山20年の経験から。
・日経新聞の中澤編集委員:梅棹忠夫。知はオリジナリティ。知的生産が普通の人がやる時代になる。予言者。、、、
・知研東北の大槻会長
・福島の大久自動社販売社長)
・酒田の菅原さん(菅原工務所常務)
・宮城の片瀬さん(明治合成社長)
・宮城の早坂さん(早坂精密工業社長)
・秋田の黒田さん
・秋田の萩原さん(三共光学工業専務)
・福島の佐藤さん(ローヤル油機常務)
・福島の高橋さん(高帆製薬工業代表)
・東京から力丸さん(アトリエマヌー代表)
・事務局の本山さん(宮城。東貿易東北マネジャー)
・岩澤さん(マグネットデザイン)
山田さん(山田総合労務事務所)。喜多さん。村上さん(中小機構・東北)。北海道新聞の平原編集委員。
私の記念講演「人生100年時代を迎え撃つ、 アタマとココロの革命を!」を1時間40分。
懇親会。
仙台駅でコンサート。指揮者は池辺晋一郎。
---------------
「名言との対話」6月2日。羽田健太郎「来年は今年よりちょっとだけいい音楽を弾けるようになりたい。それだけを思って走っています」
羽田 健太郎 (はねだ けんたろう、1949年1月12日 - 2007年6月2日) は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。
音楽活動はクラシック、ポップス、フュージョンなど多岐にわたり、劇伴音楽においても『西部警察PARTII』『渡る世間は鬼ばかり』のテーマ曲などが広く知られる。
桐朋音楽大学卒業後にスタジオミュージシャンとしての活躍を開始。人材が当時は乏しかったことから非常に重宝された。スタジオ録音全盛期の時代と、羽田の活躍の時期が重なったのである。羽田はクラシックとポップスの橋渡し的役目を果たし、タレント、司会者としても活動した。2000年4月から2007年5月までテレビ朝日系列の音楽番組『題名のない音楽会21』の司会を務めた。私もこの番組で顔を知った。
「音楽っていうのは喜びを10倍にしてくれる。そして悲しみを2分の1にしてくれる親友。」
小学校では後の歌手小川知子と同級生であり、高学年になってからは毎学年1学期の学級委員は優等生の羽田と小川だった。小川知子は自伝で『私の初恋の人は羽田健太郎君。』と語っている。
冒頭の言葉のように、少しづつ上手くなろうという意志は持っていたが、飲酒癖があり、50代に入ると体調を崩すことが多くなった。多彩な才能が過労を招き、それを乗り越えるために飲酒で紛らわそうとしたのであろう。健康管理の大事さを58歳で亡くなったハネケンは教えてくれる。