6月2日の「知研東北」設立総会及び記念講演の記録。

2018年6月2日に行わた「知研東北」設立総会及び記念講演の議事録が事務局の本山さんから送られてきた。以下。

・ 15時~16時 第1部:「知研東北」設立総会19名参加。仙台の中小機構東北6階。

・16時~18時 第2部:記念講演 NPO法人 知的生産の技術研究会理事長 久恒啓一氏。「人生100年時代を迎え撃つ---アタマとココロの革命を」 19名参加。

・8時~20時 懇親会 19名参加

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第1部:「知研東北」設立総会

NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 高橋茂人氏

NPO法人 知的生産の技術研究会の設立の経緯、38歳で入会してから今まで多くの刺激を受けてきた。今度は、それを次の世代に伝えたい。2020年にNPO法人 知的生産の技術研究会は、設立50周年を迎える。再興・再生が必要。その一環として今日、「知研東北」を立ち上げる。7月には「知研宮島」。来年は「知研北海道」が立ち上がる。地域を越えて知の交流を行う」

全員で名刺交換。人数が多い場合、このやり方はいい。これだと、誰と名刺交換したのかわからないということがない。

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NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 「知研岡山」会長 伊藤松郎氏

「初めは異業種交流会を行っていた。でも、それには限界があると感じ、20年前に久保田貢さんと話し、本部との交流をスタート。なんといっても、よき仲間に尽きる。仕事もこのような活動も、楽しくなければいけない。様々な得意分野を持つ人に幹事になってもらっている。会を継続させるために、飽きさせない工夫をしている。講演会だけではなく、様々なイベントを企画して。知研東北とのコラボができたらいい。健康寿命をのばすためには、人とのつながり、交流が大切。知研が発展すればするほど、国に貢献する」

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NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 高橋茂人氏

「知研岡山のやり方をヒントに。今日参加したメンバーはみな幹事。体制は以下の通り。会長は福島の大槻一博さん。会長の補佐として若い二人、青森の柳谷彰成(あきしげ)」さんと山形の菅原脩太さん。各県の幹事は、宮城県が片瀬弥生さん、早坂道信さん。福島県高橋美帆さんと佐藤義道さん。秋田県が黒田文男さんと萩原俊輔さん。岩手県が山田裕幸さん。山形県が菅原脩太さん。青森県が青森の柳谷彰成(あきしげ)さん。事務局が本山賢治さん」(今日参加されていなかった青森の三上博久さんも事務局です)

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日本経済新聞社の中沢編集員委員。

「25年前、久恒先生と高橋さんに会い、梅棹先生のことを知った。それ以前は、体力勝負の記者生活だった。梅棹先生の全集を読んだ。そして、民博の館長をしていたもとに梅棹先生のところにしょっちゅう行った。梅棹先生の言葉、『知はオリジナリティ』、『リアル』。梅棹先生は天才で一人でできるが、自分たち天才でない人間は共同でやるしかない。全国的に本の購読数は減っているが、東北は例外。特に、岩手県の購読数は日本一(率だと思う)。梅棹先生は、『知的生産の技術』を書いた前後に、『普通の人が発信する時代になる』と予言していた。そして、ブログやインターネットが普及し、自由にやれる時代になった。便利なツールがある時代だからこそ、生で会い、刺激を受けあうことが重要。直に触れ合い、知的生産をすることが大事。やっぱり人間関係。今後、地研の活動をまとめ、記事にする予定」

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16時~18時 第2部:記念講演 NPO法人 知的生産の技術研究会理事長 久恒啓一

「人生100年時代を迎え撃つ---アタマとココロの革命を」

「鳥の目で考える人、鳥瞰できる人が重要。大学時代、探検部に所属していて、梅棹先生の本に出会った。その後、日本航空に勤務していた1980年に知研に出会った。その後、約10年刻みでキャリアが変わっていった」

「今後は、超高齢化時代になる。長生きはリスクというのは間違い。『新・孔子の人生訓』の図を用いて人生50年時代と現在の高齢化時代の比較。国の65歳定年は、キャリアデザインの考えは全くない。キャリアは、青年期・壮年期・実年期の3つ。そして、その後も、熟年期・大人期・仙人期の3つある。ワークライフバランスという言葉はおかしい。ワークとライフを並列に考えている。ライフデザインをどうするかが大事」

「箇条書き、カタカナだから、だまされる。箇条書きは実体を表していない」。「読む→書く→考えるというのは、順番が違う。読む→考える→書くが正しい。これが、ビジネスコミュニケーション。図解は、理解できたこと、疑問に思ったこと、本当にわかったことだけで組み立てて描く」

『アジア・ユーラシアダイナミズム・・・日本をめぐる世界潮流』という図をもとに、世界の構造や変化を説明。「1枚の図で全体を表すことができる。この中の数値は毎年書き換えている。そうすることによって、世界の構造の変化がわかる」。 『江戸幕府の成立』という図をもとに説明。「年号や部分部分だけで覚えさせられたが、覚えていない。それは、図解していないから。このように図を描いたことによって、記憶できる。そして、見ないでも話せる。図を描いているときが、脳が一番働いている。ある分野で100枚図を描けば、図同士が関係しあう」

「講演会をやると、現場が見える。その業界のことは知らなくても、どこに行っても話せる。どの会社・組織に行っても、『うちには考える人間がいない』と言われる。考える力・企画力・想像力・構想力が欠けている。文章はコミュニケーションのOS。私は、そこに図解を入れた。それ以外のものはOSではなくアプリ。図解というOSを握っている人の勝ち。図解はグローバル言語」

 人生100年時代:「2005年に始めた人物記念館巡りの旅は800館を超えた。やってみてわかったことは、いかに歴史を知らなかったか、なんて偉い人が多いんだろう、人は必ず死ぬ、人生は有限ということ。人物館巡りの旅をブログに書くという修行を行っている。自分の周りの人に影響を与えられるのが偉い人。もっと偉い人は、広く深く影響を与える人。もともっと偉い人は、長く生きて影響を与える人。死んだ後も影響を与えることができる人が一番偉い。深さ×広さ×長さ×死後の長さ。近代の中では、福沢諭吉が一番偉いと思う。経済界では渋沢栄一。お金・事業・思想の順で残す人が偉い。普通の人は、なかなかそうはいかない。普通の人は、高尚な人生を送ることが偉いこと」

 今後の知研はどうあるべきか。「俳句結社のようなものだ。どこに行っても仲間がいる。そうやって人生を送る。そのための勉強は、図解とマネジメントゲームだと思う」

 『豊かさとは自由の拡大にある』という図をもとに説明。「肉体的自由を土台として、経済的自由と肉体的自由を得て、精神的自由を獲得する」

 以上、今日は、総括してざっくりと話した。

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NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 高橋茂人氏

締めの言葉。今後、図解は勉強したほうがいい。本山さんに教わって、一緒に。今後は、仙台以外でも集まるようにしたほうがいい。仙台→仙台以外→仙台→仙台以外・・・・・・・と。そうやって、場所を移動しながら学んでいく。その土地に行って、誰に会うかできまる。活動は、記録に残すこと。各地の事務局が編集委員になる。活動は、本部に送って『知研フォーラムに載せてもらう』。

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「名言との対話」。6月5日。佐藤棟良「大地に足跡を残せ」

佐藤 棟良氏(さとう・むねよし。1919年1月1日-2015年6月5日)は宮崎のフェニックスリゾート創業者。

佐藤棟良は年商1300億円の規模の紙の専門商社・旭洋を一代で築いた。故郷の宮崎にフェニックス観光を設立。バブル期に日本中が不動産投資で沸き立っていた頃、宮崎交通社長の岩切章太郎社長と、松形宮崎県知事と3人で宮崎を一大観光都市へ生まれ変わらせる構想を練った。その構想は総合保養地域整備法(リゾート法)の第1号指定である「宮崎・日南海岸リゾート構想」の中核施設「宮崎シーガイア」として実現する。官民一体の巨大プロジェクトである。

 1988年、宮崎市内で第三セクターとして設立された企業の社長に就任。1993年に大型リゾート施設「シーガイア」を開業した。バブル期に策定された計画は総事業費680億円であり、世界規模の国際会議場、地上42階・地下3階のホテル、プロゴルファー、トムワトソン設計のゴルフ場、そして巨大な開閉式屋根を持つ室内プール「オーシャンドーム」であった。「オーシャンドーム」はギネスブックにも登録されるほどの規模だった。計画はどんどん過大になり、結局着工時は2,000億円を超えるものとなった。

シーガイヤには日航時代に訪問したことがある。確か社内の大きな会議がここで開催された時だったと思うが、その時に話題の大型ホテル、オーシャンドームなどを視察した。九州沖縄サミットの会場となるかもしれないとのことで、その施設も見学した。

佐藤は「シーガイアはかならず世界遺産になる」と豪語していたが、開業時にはバブル崩壊の影響で客足が伸び悩み累積赤字が拡大した。初年度入場目標数は250万人であったが、半数を下回る集客が続く。最大の年間入場者数は1995年の約124万人であった。 2000年の九州沖縄サミットでは外相会談が行われている。2001年には遂に3,261億円の負債を抱え会社更生法を申請。アメリカの投資会社リップルウッド・ホールディング社が投資額の1割にも満たない162億円で経営権を取得し、県民の財産であったはずの施設は外資の手に渡ってしまった。2012年にはフェニックスリゾートの全株式をセガサミーホールディングスが取得し、完全子会社化している。

佐藤棟良は、裸一貫で事業を興し、82歳にしてまた裸一貫にもどった。しか外資の運営によってシーガイヤは残った。「大地に足跡を残せ」という哲学は、皮肉なことに壮大な失敗の軌跡として実現したのである。