リレー講座:寺島学長「米朝首脳会談」と「17世紀オランダ論」

リレー講座:寺島学長「17世紀オランダからの視界--近代を問い詰める」

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米朝首脳会談

・トランプ:中間選挙向けの政治ショー。ディールがキーワード。カウボーイメンタリティ。米国民はこの会談を5割以上が評価。

キム・ジョンウン朝鮮半島の段階的非核化。同時進行。在留米軍3.2万人の削減と非核化。中短距離ミサイルは? IAEA査察などの手続きは?中国の航空機でシンガポール往復は身を委ねたこと。中国のプレッシャー、猜疑心、恐怖心。

・周金平:和戦両用とも中国には望ましい。平和は中国への依存が増す。衝突時には米より先に軍事駐留。強権化と強大化。香港の民主勢力の締め付け。台湾への経済圧力。同時期開催の上海協力機構にはプーチン、ロウハニ、モンゴル大統領が出席。一帯一路・AIIBなど構想力。

・日本人拉致問題:トランプ「人権問題」。日帝35年の半島支配時の人権問題も(従軍慰安婦、労働者強制、、)。日朝首脳会談。戦後賠償。韓国には現在価値で4兆円。南北共通のテーマとして「反日」の人権問題が浮上? 日本人は肝が小さい。主体的構想が要る。成熟した民主国家への期待が世界にある。東アジアのリーダーにふさわしい知見が必要。

 

17世紀オランダからの視界:世界を見る視界の再構築。歴史の鏡を磨く。

・1997年ー2002年:フォーサイト「1900年への旅・ヨーロッパ編」「1900年への旅・アメリカ、アジア編」。20世紀とは何だったのか?

・2007年ー2010年:「脳力のレッスンⅢ・問いかけとしての戦後日本と日米同盟」。戦後日本とは何か?

・2010年から「17世紀オランダ論」連載49回:近代とは何か? 17世紀オランダはデモクラシ0・資本主義・科学技術・高い文化など「近代」の揺籃期。アメリカの誕生への影響。ロシアのピョートル大帝サンクトペテルブルグアムステルダムの真似。極東開発で1804年以降北から日本へ圧力。集合的知、結晶的知、第3の知能は仏教でいう「意識」。つながりが見るのを知性と言う。つながりの中で日本史が見えてくる。

・グローバルヒストリー(世界史)からビッグヒストリー(人類史)、地球史、宇宙史へ。「多摩の地域史が世界史につながる瞬間」。江戸の日本の知は儒学(中国)、国学(日本)、蘭学(欧州)、、。丸山眞男という壁、小林秀雄という壁を越えねばならない。寺島の特色は世界を見ていることで、クロスカルチャーの視点あり。西洋史観(西から東)。中華史観(鄭和の大航海。世界の4大発明)。モンゴル史観(元・清葉は異民族支配。岡田・杉山など日本の研究が最先端。右翼論客が支持)。すべてを相対化していく。今後は中国の強大化につき合うことになる。2000年4分の1、2010年並ぶ、2018年3倍、2038年6倍から9倍。今後、文理融合でビッグヒストリーに迫っていく。

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・松本先生:日程調整

・学長:SNS時代の知的生産の技術、、、、。

・高橋さん:ジェロントロジーと知研。

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「名言との対話」6月21日。増田通二「本だけじゃダメだ。本物を見なければいけない」

増田 通二(ますだ つうじ、1926年4月27日 - 2007年6月21日)は、日本の経営者。パルコ社長、会長。

父は日本画家。都立十中(現・東京都立西高等学校)に進み、堤清二と同級となる。東大で再び堤と出会う。卒業後、国立市の都立五商定時制の教師を8年つとめた後、1961年、36歳で西武百貨店に入社。1964年、系列で不振であった丸物デパートの雇われ社長となり、池袋パルコを開業。1973年、渋谷パルコをオープンする。1984年(株)パルコ社長。1988年会長。1989年退任。

パルコは、イタリア語で「公園」を意味。人々が集い、時間と空間を共有し、楽しんだり、くつろいだりする場という意味である。パルコの基本理念は「本人も周囲も面白がること」であった。日本の絶頂期の時代を席巻したパルコは常に新しい話題を提供した。一緒に仕事をした人材は、「増田学校」と呼ばれるほど、その後も活躍した人が多い。「パルコの広告コピーは、芭蕉ではなく蕪村だ」といわれたことを述懐する人もいる。上野千鶴子は、増田を称して「時代と才能の機会との幸運な出会い」と分析した。

「演劇こそ、すべてのアートの根源であり、人生のエネルギーの出発点である」が信条であった増田本人が語る行動パターンは、「うつむくらいなら、顔を上げて空を見上げよう」「考え込むより、まず行動」「泣く暇があるなら、笑っちゃう」であった。

引退後は那須のニキ美術館は、妻・増田静江が手がけたことが発端となって、1994年にフランスの造形作家の美術館を最後の道楽として財産をはたいて建てる。日本におけるドラマチックな彫刻美術館である。

増田通二は渋谷パルコのオープンの前年にスペインのバルセロナでガウディのサグラダ・ファミリア聖堂に出会い、頭を「ガーン」と殴りつけられる。47歳だった。建築という「定職」に導かれたという思いだった。自分もガウディのように自分の夢を見ようと考え、全国にパルコを建てていき、パルコがないのは新宿と横浜だけだというまでになる。増田のソフトとハードを動的に捉える力量は希有のものであった。本物との出会いが心に火をつけ、人生を変える。 

開幕ベルは鳴った―シアター・マスダへようこそ

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