「九識」の理解のために。

「九識」の理解へ向けて、まず以下の本を読むことに。

三島由紀夫天人五衰』。

師茂樹『大乗五蘊論を読む』

・横山紘一『唯識の思想』

・横山紘一『阿頼耶識の発見』

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インターゼミ(社会工学研究会)。九段サテライトにて。

8月の箱根での夏合宿の中間発表に向けて佳境に。

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「名言との対話(平成命日編)」7月14日。深田祐介「これも週休2日制のお蔭です」。

深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、本名:雄輔 1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本作家である。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した1976年の『新西洋事情』は、ミリオンセラーになった。1982年にマニラを舞台にした『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞。1983年にテレビドラマ化された『スチュワーデス物語』は大ヒットした。1987年には『新東洋事情』を書いている。深田祐介は高度成長期に海外で活躍する日本人の奮闘をユーモアのある軽妙洒脱な文章で描き、多くの読者を得た。

深田祐介さんとは同じ企業に勤務していたこともあり、20歳近くの年齢差があったが、幾度かの接触があった。20代でJALのロンドン空港に実習派遣員で1年余り滞在したとき、深田祐介にならって「新西洋情事」を書くぞと冗談を言っていたのだが、結果的には、真面目な「ロンドン空港労務事情」という日本的労務管理についての実証的研究を社内レポートとして提出した。それが労働経済学の小池和男教授の目にとまり、紆余曲折の後に「中央公論経営問題」での深田さんらのビジネスマンの座談会になり、紙上で冒頭に若干紹介され、そのことが目の前の仕事に正面から取り組むきっかけとなった。二度目は成田での深田さんの社内講演会時に、この論文についての質問をした時だ。三度目は、30代後半で広報部勤務の時、深田さんから何かの仕事の関係で電話をもらい、担当者として対応した記憶がある。考えてみると、二足の草鞋を履いているサラリーマン作家のモデルとして20代からこの人を意識していたのであろう。

今回1999年出版の本を改題した『美味交友録』というエッセイを読んでみて、この人の背景と日常を知ることができた。パリ、札幌、名古屋、客室などの舞台で私も知っている先輩たちが登場する。深田さんは東京麹町で中流家庭に育った。父が連れて行った羽田の零戦が飛ぶエアーショー、横浜での新造汽船の見学、横須賀の軍艦、一流店野料理で、震えるような感動を味わう。絵と作文が得意だった航空少年は、その結果、感受性が磨かれて作家になったと述懐している。この本に紹介されているレストランを挙げてみよう。六本木「真露ガーデン」。銀座「キャンティ」。広尾「プティ・ポワン」。神楽坂「田原屋」。紀尾井町「エリオ」。名古屋「カポネ」「鯛飯楼」。札幌「杉ノ目」「景勝園」。パリ「ラセール」。「ルドワイヤン」。台北「ごーるでんトップ」。六本木「中国飯店」。福岡「あまのや」。ロンドン「ザ・コンノトート」「まさこ」、、。

月曜日から金曜日までは社員として仕事、土曜日と日曜日に作家として原稿を書くという「二足の草鞋」スタイルで作品を書き続け一家をなしたのだ。私が入社した1973年からJALでは週休2日制が始まった。「これも週休2日制のお蔭です」は、サラリーマン作家・深田祐介の本音だっただろう。就いた仕事を深掘りして、生きる時代を凝視し、その現場からみえる世界を描くことに自らの資質を存分に生かす。こういう生き方は普遍的である。

 

美味交友録 (新潮文庫)

美味交友録 (新潮文庫)