日本未来学会の未来構想。千本倖生のベンチャーマインド。

東京八重洲ルノワールにて、今年50周年を迎えた日本未来学会の理事懇談会に参加。

新会長の林光理事、デメケンの橘川理事。未来工学研究会の和田理事、新理事の中川大地(ゲーム)と私とで、楽しい議論。

私の提案は、予見(参集・参与)から創造・構想へ(参加・参画)、1968年と2018年の時代認識、社会から個人へ。人生100年時代、、、。

未来宣言。「未来」連合構想。満州国研究。ライフスタイル。個人。東アジア老連。、、、。

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ユーチューブで千本倖生のインタビューを聞く。

・40歳が人生最大の転機。NTTサラリーマン、10歳上の稲森和夫との出会い。

・ビッグ潮流の先頭に立つ。電話革命で1984年に第二電電KDDI)を創業。インターネット革命で1999年でイー・アクセスを創業。5兆、8兆のメガベンチャーを立ち上げた。浪人となり、金と時間があり余ると神経衰弱になった。

・世界の動きを見るために、自分の足で歩く、自分の手で触る、自分の耳で聞く。一番ホットな場所に身を置く。本物。世界中を歩く。3倍の努力。ものおじしない。ガッツ。飛び出し提案せよ。半歩前に気づきアクション。タイミングが重要。トップマネジメントチームをつくる(CFO・COO、、)、人材に投資せよ。

・今後の波:IOT。AI。仮想通貨。グリーン革命(自然電力は6%)。

・慎重な人が最後に立ち上がると成功する。第一級の師を持て。エゴを捨てる。世界を善に、矛盾を解決。

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「名言との対話」7月17日。石井好子にもかかわらず笑う

石井 好子(いしい よしこ、1922年8月4日 - 2010年7月17日)は、日本シャンソン歌手エッセイスト、実業家。

石井好子衆議院議長を務めた石井光次郎氏の次女。東京音楽学校卒後、父の反対を振り切り、ジャズ歌手の道を選んだ。留学先の米国から、パリに飛び、そのままパリでシャンソンに転向し、デビュー。帰国後は、「パリ祭」をプロデュースするなど、日本のシャンソン界をけん引した。また、後輩歌手育成のために日本シャンソン協会会長やパリ祭などの活動、難民救済のチャリティコンサートの慈善活動に力を入れた。

「日本人として、外国でどこまでできるか試したかった」という石井好子は、フランスでもシャンソン歌手として評価が高く、1971年には、芸術文化勲章オフィシエ章」1992年には「コマンドール章」を受章している。

歌を歌うには健康が土台であるから、日頃の生活の中でも、ウォーキングやストレッチを行い、寝前には腹筋を鍛える体操をしていた。木原光知子から水泳を学び、1987年にはマスターズ水泳大会の50m平泳ぎで優勝しているなど、健康そのものだった。
また、エッセイストとしても知られ、1963年に上梓した処女作『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』は、現在まで一度も絶版になっていないベストセラーである。この作品は第11回日本エッセイストクラブ賞を受賞している。その後、『石井好子のヨーロッパ家庭料理』、『パリ仕込みお料理ノート』など、料理をテーマとした作品も多く、食通として知られ、『料理の鉄人』にはたびたび審査員として出演した。

「苦悩や落胆を味わった末、『にもかかわらず笑う』。これが真のユーモア精神」と、フランス仕込みのユーモア精神の持ち主であった。確かに、テレビで歌い、語る石井好子は常に笑顔だった。新分野を切り拓いていたから、87年の人生には苦悩や落胆もあっただろうが、人生を肯定している姿を感じる。見習って、「にもかかわらず」笑うことにしよう。