春学期の学部と大学院の授業が終了--多摩(学部)、九段(大学戦略会議・大学運営会議)、品川(大学院)

多摩キャンパス

・9時:秘書と打ち合わせ。

・10時:橘川先生:ドウハウス。性教育。ロート。無限教師。

・10時40分:学部授業「ビジネスコミュニケーション」の春学期最終回。最終レポート「2018日本の論点」の論考を図解すること。

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九段サテライト

・14時:大学運営委員会:

・・戦略会議の報告は「教務」で、テーマは「ゼミ力の多摩大に向けた実質化を進めること」。大学の実力。、、、。

・・学長「進化と深化。質の向上。「ジェロントロジー宣言」。ふるさと納税を税源としたサービス。お盆渋滞。精神の軸。墓じまい・寺じまい。専門から何か附加を」

・15時30分:大学戦略会議:テーマは「学生」で、離学対策の意見交換。

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品川キャンパス

・18時半:瀧川課長

・19時:大学院授業「インサイトコミュニケーション」の春学期最終回。最終レポートは「私の仕事」。

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以下、受講生の感想から。

・最終回の講義で私の仕事について受講生の仕事について聞きました。それぞれ色々な仕事をしているのだと驚きでした。また留学生は自分の生活について発表されみなさま苦労しているのがわかりました。私は自分の仕事について生活のために収入を得るための仕事、社会的活動をボランテアとして無報酬でしている仕事に分けてお話ししました。この講義は自分の考えを図解として捉えまとめるのに非常に有益な講義でした。ありがとうございました。

・・図をいつ出すかが勝負。・図の大きさ、矢印の太さ、色の工夫。・図解したうえで「私の仕事」を一文で表すと?。講義ありがとうございました。皆さんの図解を見ながらいろいろな表現の仕方を学びました。また、日頃の業務等でも図解でイメージしようとすることが多くなりました。

・私の仕事について図にしたときにどうしても同じ業界目線でかいてしまうと思いました。何もわからない人にプレゼンする気持ちで表現すればさらに詳しく繊細なものが出来上がると実感しました。仕事上、図で表現することが多いので本講義で学んだことを存分に発揮して生かして行きます。ありがとうございました!

・初めて見る人に向けてプレゼンする場合、皆さんが疑問に感じる点を図解に記載するという点は、論文発表にも通じるものがあるのかな。と感じ、勉強になりました。今回は情報を整理して削ぎ落とすことを意識しましたが、初めて見る相手の立場に立って考えて図解をする事で、一層分かりやすく作れると感じました。ありがとうございました。

・みなさま約4ヶ月間ありがとうございました。図解は文章を要約し本質を掴むのにとても有効だと改めて確認することができました。頭の整理にもなるので、これからも意識して使いたいです。実務でさらに磨いていきたいと思います。

・久恒先生、皆さま。8回に渡りありがとうございました。本日の最終講義では、図の大きさ、矢印の太さ、配置等の重要性を改めて理解出来ました。今後は、実務に積極的に使用していきたいと考えております。

・ご講義、ありがとうございました。織系のコンサルティングなので、表だって形式張った仕組みはないですが、人事含め、自社内をしっかり固めたいのが、1番の思いです。社内教育、イベント等を、充実させたいと思っています。1番のフォロワーの家族を太く、師匠も太く、でも、私が貰う分が、どうしても太くなるのだとうな、と、感じています。私自身の人脈の範囲だけでなく、お客様のステークホルダー様含めて、円滑な経営を、お手伝いさせて頂きたいと思います。家族との時間はもちろんですが、社内で重要なのは、ホームパーティーです。以上。楽しい講義でした。ありがとうございました。

・皆様お疲れ様でした。最終課題は明日アップします。講義を通しての感想は、原点回帰。テクニックやうまく描こうとする意識は私にとっては邪魔なのだと分かり、「仮説」を立てて「感覚」で描き始めて、「昇華」させて行くことが重要なのだと再認識しました。良質な情報と知識のボリューム、すなわち「良質なインプット」と、「見る側とのコミュニケーション」が極めて重要と思いました。本日感じたのは、「私の仕事」なのに大半の方が組織が中心にある違和感でした。この数年で会社という枠組みが弱くなり、個人に仕事がディペンドしていくと私は思っています。
ありがとうございました。

・久恒先生、最後の講義がありがとうございました。今まで、文章を読むスピードが速くなりました。ポイントを探す能力も高まってきました。他の授業でも、図解をよく使いました。本当にありがとうございました。きょう、日本での生活について、図解しました。2016年から今まで、2年間の自分をきちんと振り返って、多くのことを考え直しました。やる気も湧きました。やはり、たまに振り返ったら、最も自分に合う道が見つけられると思います。今学期、先生も、クラスメートの皆んさんも、大変お世話になっておりました。本当にありがとうございました。

・4ヶ月に渡る講義ありがとうございました。最初は図解という行為に中々慣れることが出来ませんでしたが意識的に仕事の中で取り入れて共通の絵を見ながら議論する、ファシリテートする事で対話の場が深く、広くなってきた事を実感します。今日発表した自分の仕事に関しても、知らない人にわかりやく且つ的確に伝えることを意識して完成させたいと思うし、絵を描くだけでなく実行して、うまくいかない点を更に図解して課題の本質をつかむ事を繰り返していきたいと思います。

・事業のビジネスモデルはパワーポイントで表現した通りですが、むしろ本当に伝えたかった内容は手書きで補足した部分です。ありがとうございました。

・先生、皆さん、授業お疲れ様でした。第8回の授業の感想です。今日の発表内容は、1週間で手直ししてフェイスブックに掲載するようにとのことでしたので、本日は発表内容の添付なしで感想のみを掲載致します。受講生の皆さんの発表を聞いて、表現のバリエーションの多さに感心しました。数字を盛り込む、強弱を付ける、図表のバリエーションを持つ、が大事だと皆さんの発表を聞いて感じました。ビジネススクールでも図解を扱う授業はなかなかないため、毎回楽しく参加させて頂きました。改めて、ありがとうございました。【7月28日0時45分追記】修正版の図表をアップ致します。作業ウェイトや件数などの数値、世の中へどう貢献しているか等を盛り込みました。こちらで課題提出とさせて頂きます。先生、皆さん、8回に渡りありがとうございました。

・本日は途中退席になってしまい申し訳ありませんでした。私の仕事を一言で言うと「病院と地域をつなぎ地域の幸福に貢献すること」だと思っています。この講座を受講して図の書き方がものすごく上達したかと言うとまだまだだと感じています。ただ、今回の課題をいただいて何となくアウトラインを作成した後に、初回に作成した図を見た時にひどい図だなと思いました。そう思えたことが、わずかですが成長できた証かなと思いました。今回私の仕事について図解をし、そして貴重な質問をいただいたことで私自身の頭と心の整理がついたような気がします。本当にありがとうございました。図解はこれからも仕事でずっと使っていくと思います。一枚一枚描くたびに少しでも分かりやすく美しい図解にしていきたいと思います。これまでの講義ありがとうございました。

・久恒先生、皆さま 全8講ありがとうございました。仕事の関係で最終講義早上がりします。<最終課題>プレゼン資料に皆様の質問項目を追加して最終課題とします。利益構成比とデザイナー写真を追加。自分の事業は誰もやっていない事業モデルなので説明が難しく伝わらないことを改めて実感しました。

 

以下、留学生。

・皆様 お疲れ様でした。第8回の講義でありがとうございました。今日は皆様の発表を聞いて、仕事について図解で伝えて貰って、分かりやすいと思います。先生の授業のおかげで、本当に大変勉強になります。ありがとうございました。

・久恒先生,授業、ありがとうこざいます。皆さんお疲れ様でした。インサイトコミュニケーションの授業を終了して、たくさんの美しい思い出だ記憶が残りました、先生から丁寧に教えてくれて、積極的に発表する意識をかきたてられました。私が図解が上手になる同時に、logic の分析する能力も上達しました。日本の方方の仕的知識を得ました。仕事をしていない私が自分の将来のビジネスに関する内容、モバイル時代にo2o の技術を活用する観光事業戦略の発想を描きました。伝統的な観光業は、従来の店舗展業から,ネットワークでhart事業に変わって、データの利用をして、競合と多角化産業の発展について図解しております。30分の電車🚃に乗った時間を利用して出来ました、先生から色々な教えていただき、ちょっと進歩しました。

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「名言との対話」7月27日。若泉敬「惰眠をむさぼるような人生を送るな、、、寸暇を惜しんで己を磨き、励め」

若泉 敬(わかいずみ けい[1]1930年昭和5年)3月29日1996年平成8年)7月27日)は、日本の国際政治学者

1969年の佐藤総理とニクソン大統領の共同声明で3年後沖縄返還が決まった。いわゆる核抜き本土並み返還である。日本政府は沖縄返還交渉にあたってアメリカと密約を結んだとされる。縄(核の密約)と糸(アメリカの繊維産業保護)の交換密約である。若泉は沖縄返還に並々ならぬ熱意を持つ佐藤総理の密使として働いた人物である。米軍は緊急時には事前協議で合意すれば持ち込めるという密約と繊維問題の交換密約である日米秘密合意議事録に佐藤・ニクソン両首脳はサインした。これは佐藤の遺品の中から発見された。若泉は「縄と糸」との取引に関わったことを生涯悔やんでいた。

若泉敬の研究テーマは「核戦略研究と中国研究」が二本柱であり、その実践で成り立っていた。吉田茂など歴代自民党政権は、若泉の同世代のライバル・高坂正堯の言う「狡猾な従属国家」でアメリカに依存してきた。 日米安保条約は中ソ友好同盟条約に対抗するためにできた。勢力均衡による平和維持路線である。若泉敬は、国家目標が不明確なままでは漂流するから、自主独立の精神で日本の理念と国家利益を提示しよう、そして日本を指針ある航海にこぎ出させようと考えていた。能力はあるが、持たないという意思を持った潜在的保有国グループの結集し非核クラブをつくり、核軍縮平和外交を展開する。それは国論がまとまり、超党派で推進できる唯一の外交テーマである。具体的には査察・確証の分野で責任を果たす。このような雄大なビジョンを持っていた。核の傘に依存しながら通常戦力では自前でできるためにGNP比2%、アジアへの援助学は1.5%、憲法前文と九条に合致した国連PKO活動(国連平和維持活動)、太平洋諸国との関係強化、、、。

京都産業大学退職時に退職金を同大学世界問題研究所に寄付、若泉敬記念基金が設立された。 「沖縄を取り戻したというのに、アメリカへの依存はなぜ終わらないのか、日本人はなぜ「愚者の楽園」でのうのうと暮らしているのか」という義憤を持つ若泉は、1994年、明治の外相・陸奥宗光の言葉を引用した渾身の著書『他策ナカリヲ信ゼムト欲す』(文藝春秋社)を上梓した後、沖縄県知事・太田昌秀に「自裁します」との遺書を送ったが、国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝したが自殺は思いとどまり、英訳版(2002年に刊行)を完成した1996年に死去する。青酸カリによる服毒自殺といわれている。 「一人の人間が、死についての心境と覚悟を固めておくことは、その後の人生にきわめて大きな影響を与える、と私は考えます」、これが若泉の死生観だった。

享年66。「志」の文字が刻まれた鯖江にある墓石は正面が太平洋を向いている。大磯の吉田茂の像、高知の坂本龍馬の像も同じく、太平洋を眺めている。

若泉敬はコツコツ型ではあったが、昭和の橋本左内とも呼ばれた国士であった。父が平民宰相・原敬を尊敬していたことから「敬」の文字をついた。女性弁護士として敬を助けた生涯の伴侶・ひなとともに、志に生きた人である。郷里の「若き泉 志」という銘の純米吟醸も、若泉敬の志を伝えている。

「惰眠をむさぼるような人生を送るな」は、若泉が常に同僚に語っていたことばであるが、この言葉は、戦後の日本と日本人に向けた言葉でもある。 

評伝 若泉敬 (文春新書)

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