日経。読売。道新。河北。京都。

 本日の日経新聞に『100年人生の生き方死に方』の大きな広告が出ていた。明日17日は、河北新報に広告がでる予定。出版社が力を入れてくれているだろう。

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「名言との対話」8月16日。沢村貞子「目立ちたがらず、賞められたがらず、齢にさからわず、無理をしないで、昨日のことは忘れ、明日のことは心配しないで---今日一日を丁寧に--肩の力を抜いて、気楽にのんきに暮らしてゆこう」

沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体澤村1908年11月11日 - 1996年8月16日)は、日本女優随筆家

東京・浅草生まれ。日本女子大中退。在学中に新築地劇団に入団し、左翼演劇運動に参加し治安維持法違反で2度逮捕。日活に入社し、デビュー。生涯に350本以上の映画に出演し、幅広い役柄と個性的な演技で名脇役女優として活躍した。自分の中にある部分をふくらませて、違う人間になれる女優という仕事に楽しさを見いだしていた。役は女学生、令嬢、酌婦、妾、女教師などなんでもやったところから始まった。女優は姿態と能力、加えて努力と運と考えて精を出した。主役はつぶしがきかない。沢村は脇役であればは健康で長生きしていれば、そのうちまわりが居なくなるという。沢村貞子の脇役志願は正解だったようだ。私も主にテレビドラマへの膨大な出演作品で沢村貞子の演技を楽しませてもらったくちだ。

この人は脇役という難しい立ち位置で独特の地位を得たが、一方でエッセイストとしても素晴らしい作品を残している。1977年には『私の浅草』出日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているなど、本格的なエッセイストでもあった。多くの本のタイトルに「わたし」がつけられているように、食事や食べ物など日常生活の中での見聞や感想の納得感が身上だった。本人が言うように毎日の暮らしを大切にした下町の女だった。

1989年(平成元年)、NHKのドラマ『黄昏の赫いきらめき』を最後に81歳で女優を引退。その後は横須賀市に隠居し、執筆活動に励みながら毎日湘南の海を眺めて過ごした。87歳で没。生前の希望どおり、沢村の遺骨は先立った夫の遺骨とともに相模湾散骨された。

『私の脇役人生』を読んだが、冒頭に掲げたこの本の中にある脇役と老後の心構えに共感を覚える人が多く、それが晩年の「老い」をテーマとした4つのエッセイ本に結実している。名脇役と名エッセストの二つの役をこなした沢村貞子の生涯は見事である。 

わたしの脇役人生 (ちくま文庫)

わたしの脇役人生 (ちくま文庫)