久恒啓一の「名言との対話」第34回のゲストは梅澤佳子先生「しなやかに」。

久恒啓一の「名言との対話」第34回。ゲストは梅澤佳子先生「しなやかに」。

 「レジャーの環境やプログラムサービス開発が専門の梅澤佳子教授の座右の銘は「しなやかに」。弾力に富み柔らかくたわむだけでなく瑞々しさも含む言葉には、どんな厳しい場面でも折れない強さが隠されている。そしてその強さは品格に繋がっている。「人生100年時代」を生きる学生の精神的な支柱に、シルバー世代が心の世界を開花させるためにも大切にしたい言葉」


久恒啓一の名言との対話第34回梅澤佳子教授2

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「名言との対話」。8月18日。金大中「この世で一番恐ろしいのは自分の眼である。鏡の中に現れる自分の眼こそが一番恐ろしい」

金 大中(キム・デジュン、朝鮮語김대중1925年12月3日- 2009年8月18日)は、韓国政治家市民活動家。第15代大統領(在任:1998年 - 2003年)。

 創氏改名でつけた日本名は豊田大中。略称は「DJ」。カトリック教徒で、洗礼名はトマス・モア。 

 汗と涙にまみれながら海運業を起こした青年実業家は、経済を生命体だと理解していた。そのまま続けていたら財閥の仲間入りを果たしたかもしれない。1961年、1954年以来落選と登録取り消しがあった5回目の挑戦で初めて議席を得る。その後も辛酸に満ち満ちた政治家生活を送る。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領とは終生のライバルだった。心身強健なこの「鉄人」は、自動車事故を装った政権による暗殺未遂で股関節に障害を負って歩き方がぎこちなくなった。

1973年、日本滞在中の韓国野党の前大統領候補・金大中は九段のグランドパレスホテルで白昼堂々と拉致される。そして6日目に自宅に帰る。日本の主権が韓国の公権力によって侵害された事件である。その時の生々しい体験は『金大中 わが人生、わが道』に詳しく語られている。この年は私は大学を卒業し、東京に就職した年で、この事件はよく覚えている。グランドパレスはよく使うが、ここで金大中拉致事件があったのだなと思うことがある。この事件以降も、長く野党の議員であり、論客であった金大中は、時の政権からの圧迫と懐柔にさらされ続ける。副大統領のポストまで提示されたことがある。政権与党にとって危険人物だったのだ。

1992年の大統領選挙で敗北し引退を決意するが、再起し1998年には「準備された大統領」をキャッチフレーズに戦い、 民主的政権交代が韓国史上初めて実現し、大統領に就任する。アジア通貨危機直後の就任であった。金大中は21世紀の最初の四半世紀には、アメリカ、日本、中国、ドイツに続く人口7千万人を擁する世界経済五大強国になる、それを高句麗時代になぞらえて「広開土時代」と呼ぶ構想を持っていた。危機を脱した韓国はIT先進国になった。

日本の小渕恵三内閣総理大臣日韓共同宣言を発表し、韓国でそれまで禁止されていた日本文化開放を推進する。北朝鮮に対しては「太陽政策」を推し進め、平壌金正日との南北首脳会談を行った。その功績で、2000年にはノーベル平和賞を授与された。10回以上もノーベル平和賞候補であり、ようやく実現したのだ。

85歳での死去の前に「必ず政権交代を果たしてほしい。私は年老いて病気で先が長くない。あなたたちがしなければならない」と言い遺していた。この金大中の「遺言」を受けて文在寅は政界入りを決意し、8年後の2017年5月9日の大統領選挙に当選して第19代大統領に就任した。文大統領は金正恩との南北首脳会談を行うなど、金大中の遺志を継いでいる。

金大中のニックネームは「忍冬草」だった。ニンドウと読む、スイカズラの一種である。春を準備するために冬場を耐え忍ぶことからついた名である。金大中の死線を何度も越えてきた人生行路を眺めると、ふさわしいニックネームだと納得する。この人はその都度、圧迫と誘惑を戦い抜いた人である。毎日見る鏡の中の自分の眼だけは、自分の人生の折々の姿を冷徹に、ごまかしなく見ている。自分の眼はごまかせない。自分は自分の眼に恥じない生き方をしてきたか?

 

 

金大中自伝―わが人生、わが道

金大中自伝―わが人生、わが道