T-Studio「トレンドウオッチャー」第15回をリリース

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トレンドウォッチャー橘川幸夫第15回

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 大学。

・研究室にて。

・・講演のやり取り:東京都人材育成センター。岡山県職員研修所。大分県PTA連合会。

・・スケジュール調整等

・ラウンジにて:入試改革ミーティング:金入試委員長、杉田学部長、宮地事務局長、私。2時間ほど。大きな絵柄の原案が描けた。

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「名言との対話」8月20日吉田文雀「好きで入った世界、何もかも芝居に直結している」

吉田 文雀(よしだ ぶんじゃく、本名:塚本 和男1928年6月8日 - 2016年8月20日)は、人形浄瑠璃文楽人形遣い

 1945年8月に文楽座入りし、2代目吉田玉市の預かり弟子で吉田和夫を名乗る。翌年正式に南座で初舞台を踏む。1991年紫綬褒章受章。1994年重要無形文化財人間国宝)認定。戦後文楽の発展、復興に尽力した。

仏教用語で美しい玉を浄瑠璃という。万物が金、銀、珠玉からなる薬師如来の浄土が浄瑠璃世界だ。その薬師如来の申し子とされた美しいお姫様である浄瑠璃姫と牛若丸との恋物語が流行し、いつか浄瑠璃と呼ばれるようになった。

別々に発達した耳で聞く浄瑠璃と目で見る人形が合体して文楽になった。文楽は、義太夫節を物語を語る太夫、対等な立場で演奏をする三味線、人形の三業から成り立っている総合芸術であり、微妙な動きで心情を表現し生身の人間以上に人々に訴えかける舞台を堪能できる。文楽では公演のたびに、人形遣い自身が、かしら(首)、かつら、衣装・手足・胴・小道具を組み合わせる。三人で一体の人形を操る「三人遣い」で、「主遣(おもづか)い」「左遣い」「足遣い」がある。人形浄瑠璃文楽は、人類の口承及び無形遺産に関する傑作として、2003年にユネスコ無形文化遺産に登録された。

さて、この吉田文雀は、1945年に文楽座に入座、2016年に引退するまで71年間、文楽人形遣いとして活躍した名人である。その品格のある舞台にはファンが多かった。文雀は芸域が広かったが、特に老け役女形(おやま)は高く評価された人形遣いの第一人者だ。「文楽博士」と呼ばれるほど博識であり、古典芸能の故実にも詳しかった。けいこの時は、人形を持っては行わない。自分の体で学び、その過程で人形の気持ちをつかみ、それを人形自身にに映していった。

芸域は広く、立ち役(男役)や敵役もこなしたが、特に老(ふけ)女形(おやま)で高く評価された。
芸域は広く、立ち役(男役)や敵役もこなしたが、特に老(ふけ)女形(おやま)で高く評価された。
品と格調のある舞台
品と格調のある舞台
品と格調のある舞台

「役作りに際しては、師匠から芝居をする上で、技術も大事だけど性格、性根の内面と、侍なら石高、身分、女房なら元は腰元か、遊女かとか外的要素もつかんで人物像を造り、何でこの場にいるのか、目的はこれからどうしたいのか、を考えて役を表現するように教わりました」「伝統的な仕事は全て同じだと思いますが、師匠、先輩から学んだことを次の世代に伝える義務があります。この義務を果たすのが師匠への恩に報いることだと思います」。と文楽人形遣いの弟子・吉田和生が語っている。

「人形を遣い」の修行は合理的なシステムを持っているのだが、その中でいかに個性を盛り込み、自分を表現していくかが人形遣いの生涯のテーマになる。引退時に「何より好きなただ一つの道だけを70年に渡って勤められましたことは幸福以外の何物でもございません」とするコメントを発表している文雀は日常のすべてが人形浄瑠璃の世界に結びついた、迷いのない生涯だった。