イヌシデは「犬四手」。シラカバは「白樺」。ソメイヨシノは「染井吉野」。クヌギは「櫟」。

緑道の木々の名前が新しくなった。首都大と小中学校のジョイントのようだが、散策の楽しみが増えるのでありがたい。イヌシデは「犬四手」と書くのか。漢字もあるともっといい。

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「名言との対話」8月23日。川本喜八郎人形はひとことでいえば神、お仕えするもの」

川本 喜八郎(かわもと きはちろう、1925年大正15年)1月11日 - 2010年平成22年)8月23日)はアニメーション作家、人形作家。

 川本喜八郎は少年期に芸事の好きな祖母から人形作りを教えられる。思春期はアメリカ映画を中心に映画に明け暮れる。戦後、東宝の美術部に入り、劇作家・飯沢が川本の人形に注目し仕事を依頼され、飯澤と組むことになる。27歳で「皇帝の鶯」というトルンカの作品をみて椅子から立ち上がれない程の感激を味わい、人形で詩が語れると人形を一生の仕事にしようと決める。そして心理学でいう中年の危機を迎えた川本は、1963年に38歳でチェコ人形アニメーションの巨匠イジィ・トルカンに学ぶ。

トルンカは、「人形は人間の典型を描くことができる」と言った。人間のエッセンス、本質、原型。だから万人が理解できる。また「民族性を描かねばならない」と語る。自国の文化を探り、日本の様式の発見と人形アニメーションへの応用が川本のテーマとなった。

生涯の師匠であるトルンカ「人形は人間のミニチュアではない。人形には人形の世界がある」「歌舞伎や文楽といった様式的な演劇を、自分のアニメーションに生かせ」「人形芸術というものは、国家や、民族や、肌の色を隔てるものではなくて、それ等を結びつけるものだ」と川本に語った。

帰国後、日本の伝統の粋が集まっている「能」や「文楽」を学ぶ。母である老婆が鬼に変身する「鬼」で人間の典型を、そして青年層に焦がれる女が大蛇に変身する「道成寺」で愁嘆という民族性を描くことができて、中年の危機から10年経って、ようやく川本の人形スタイルが完成する。

47歳「鬼」。57歳、NHKテレビ人形劇「三国志」。400体に命を吹き込む仕事に没頭した川本は至福の時間だたっと述懐している。68歳、NHK人形歴史スペクタル「平家物語 人形絵巻」2003年、78歳、連句アニメ「冬の日」。81歳、人形アニメーション映画「死者の書」は岩波ホールで8週間公演、。2007年、82歳、飯田市川本喜八郎人形美術館オープン。伊那谷は芸能の谷と呼ばれるほど古今の多種多様な民俗芸能が残る地域だ。「いいだ人形劇フェスタ」は2007年で29年目を迎えている。

「アニメーション作家のイメージの膨らませ方は芭蕉に通じ、しかも風狂の精神もある」「人形は何かを懸命に演じている時が一番美しく、人間以上の表現力を持つ」

2013年に渋谷ヒカリエの8階の「川本喜八郎人形ギャラリー」を見たことがある。NHKで放送された「人形劇・三国志」と「人形歴史ペクタル・平家物語」に出演した人形が並んおり、圧倒的な存在感に心を打たれたことを思い出した。

日本では放浪する芸能の民は神の霊魂が宿った人形と一緒に旅をした。『死者の書』を著した折口信夫はあらゆる表現の起源に神への信仰を見ていた。人形は人間のミニチュアではない。人形は神なのである。その神にお仕えするのが人形作家であり、人形アニメーション作家だ。この仕事は民族の歴史と伝統と精神を学んだ、選ばれた人のみが携わることができる神に仕える聖職なのである。 

川本喜八郎 人形―この命あるもの (別冊太陽)

川本喜八郎 人形―この命あるもの (別冊太陽)