全国地域リーダー養成塾で講演研修--「説得から納得への政策形成へ」

一般財団法人地域活性化センター主催の全国地域リーダー養成塾で講演研修。場所は市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷。受講者は北海道ニセコ町から徳島県三好市までの市町村の行政マン40名。平均年齢34歳。

1年間の長丁場のカリキュラムで、講師陣を眺めると、知り合いでは塾長の大森先生、大阪観光局の溝畑弘局長、民俗研究家の結城登美雄さん、そして総務省課長、NPO法人代表、大学教授などの名前がみえる。

9時から12時までのコースで講義と研修。テーマは「説得から納得への政策形成へ--図解思考のすすめ」。本日の「目からウロコ」は3人。

終了後のアンケートから。

・図解による合意形成のお話、目からウロコでした。

・有効性はまさに目からウロコでした。

・まさに目からウロコでした。

・図を使いなさい、というコトではなくて、「そういう頭の使い方をしなさい」というお話ととらえてよろしかったでしょうか。

・自分のあたまを使って考えたからか。心地よい疲労感がありました。

・とても楽しい講義でした。

・気持ちが楽になりました。さらに深く学ぶびたい。

・非常に納得。

・住民との合意形成から事務の引き継ぎまで様々な場面で活用できる素晴らしい論理。先生の他の講義も受けたい。

・今までいかに考えてこなかったか。

・ライフデザインも考えたい。

・おおまかに示して、住民と共に修正を加える合意形成を試したい。

・行革について、英米、県庁等の真似をすると失敗するというお話は、まさにその通り。自分の仕事を理解していないことを痛感して目が覚めました。役所の常識がいかにズレているか、いつの間にか自分のズレていたことに気がついた。

・省庁、県庁、先進自治体のマネはよくないという言葉に納得。

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京王プラザホテル「樹林」

・13時半:客員教授の荻坂さんから新著『成長が速い人遅い人』(日経)を頂く。 

成長が「速い人」「遅い人」

成長が「速い人」「遅い人」

 

・14時:総研客員の渡辺先生と懇談。ギリークラブで「100年人生」の講演。

・14時半:総研の渡辺先生と多摩信金の長島部長を引き合わせ。鵜飼亭、研究会、長寿食、コンテスト、、、、。

終了後、立川で所用。

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「名言との対話」8月30日。天谷直弘「生きている限り、人は運命と闘うか達観してこれと遊ぶか、ほかに道はない」

天谷 直弘(あまや なおひろ 1925年8月31日 - 1994年8月30日)は、日本の通産官僚エコノミスト

資源エネルギー庁長官として、石油危機への対応策に専念し成果を上げた。 通商産業審議官時代には、日米自動車交渉では対米輸出の自主規制枠を導入した。1987年7月電通総研設立に伴い初代所長を務めた。『日本町人国家論』で1983年に第4回石橋湛山賞。

天谷は著書『日本町人国家論』の中で、日本を名誉や美意識がなく、金もうけに徹した町人国家に例え、国際社会で信頼を得るには、身分の高い者は義務を負わなければならないというノブレス・オブリージ路線への転換を唱えた。『日本はどこへ行くのか』では「汗を流し、身銭を切れ」「政治的理念の確立と文化的魅力の涵養を」と語った。文化的魅力とは、便利・快適・探美・求真としている。探美とは街並の整備と文化芸術振興であり、求真とは高等教育の充実である。身分いやしき町人から、食わねど高楊枝の武士ノブレス国家への転換である。この路線で国際社会において名誉ある地位を占めるべきだとの論陣をはり、大きな影響を与えた。

天谷直弘は歴史的文脈の中で日本の産業政策を考え抜き、その案を外国にも、国民にも端的に説明ができるスーパー官僚だった。この人の講演を一度昼食会で聴いたことがある。

天谷直弘は1990年代前半まで、官僚としての仕事で、そして日本を代表する論客として、自分の運命だけでなく、日本の運命とも闘った貴族的精神の持ち主だった。さて、運命と闘おうか、それとも運命と遊ぼうか、、、。

日本はどこへ行くのか―21世紀への5つの視点

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