帰省時に毎回やってもらう高校の同級会。「ふくろう」にて。
私からの友達へのお土産は『100年人生の生き方死に方』と『偉人の誕生日366名言集」。全員に行き渡ったかな。
11月の中津での講演時の同級会などの打ち合わせも。前日はゴルフか。
2次会のスナックで。
3次会は、残った瀬口君と藤田君と一緒に、北高の元歌手北隼人がやっているスナックで、「ともちゃん」と呼ばれている弟と同期の2年後輩たちと一緒に歌の共演。点数が出るカラオケ。私は94点(金9)、91点(銀)、93点(銀)だった。帰宅は午前1時。
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「名言との対話」。小室直樹「学問とは驚く能力です。はじめに楽しむことを覚えるべきです」
小室 直樹(こむろ なおき、1932年9月9日 - 2010年9月4日)は、日本の社会学者、評論家。
小室直樹は、会津中学で政治家を志す渡部恒三と親友になる。小室直樹はノーベル賞を目指して京大理学部物理学科に入学。その後、大阪大学経済学部を経て、アメリカ留学では、各分野の第一人者から直接の教えを受ける。帰国後も、東大の法政治学研究科で学ぶ。この学究は、物理学、数学、経済学、心理学、社会学、統計学、経済史学、法社会学、政治学などあらゆる学問を身につけたことが特筆される。
自然科学はscienceと単数なのに対し、社会科学はsocial sciencesと複数形である。その意味は本来、社会科学は諸科学の総合であるはずだった。分断された諸科学の総合、つまり「社会科学の復興」が小室直樹の生涯のテーマだった。世界そのものを総合的に丸ごと説明しようとした。そのため、様々な社会科学を有機的に編成し、構造的に分析し、そして処方箋を編み出した。
1980年に『ソビエト帝国の崩壊』がベストセラーになったが、当時は誰もが本気にしなかった。ソ連崩壊の原因、必然性、プロセスが詳細、具体的に書かれている。世間は驚いた。9年後にその予言が的中し、小室直樹の慧眼にまた驚いた。中国、韓国、イスラムなどについての著作、そして日本については日本教、受験体制、田中角栄、、、など実社会に向けても本質的な論陣を張った。
小室直樹はあらゆる学問を修め、その上で「先進科学を後進科学に応用する」という方法論で、切り込んでいった。アイデアの発想とその理論化、両方ができた天才だった。
日本の私塾の伝統をひく「小室ゼミ」は、1960年代半ばから無報酬で私的に続けている。橋爪大三郎、副島隆彦、山田昌弘、宮台真司、など多くの人物が影響を受けている。
私が30歳で入会した直後に、「知的生産の技術」研究会で、『ニッポンの教育』という本を刊行するプロジェクトがあり、講談社で、文部省元次官、新聞社の論説委員、小田実、小室直樹などの論客数人の座談会が企画された。幸運にもこの議論を側で聞く機会を得たのだが、小田実と小室直樹の対決には心が躍ったものだ。
本を読んだり、難しい理論を理解しようとして、「そういうことか! わかった!」と心踊ることがある。学問するとは、その驚きの連続の過程を楽しむことなのだ。小室直樹は、あらゆる学問領域の山々を登り、高みに立って、自分が見えるパノラマの風景を、見せてくれた人だ。驚き、感動する。そのプロセスを自分なりに楽しもう。
ソビエト帝国の崩壊―瀕死のクマが世界であがく (1980年) (カッパ・ビジネス)
- 作者: 小室直樹
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1980/08
- メディア: ?