岡山自治研修所で、県庁職員研修。35名。30代前半の男女。
以下、終了後のアンケートから。
・県民への視点が抜け落ちていたことに気がつけてよかった。
・最終目標を意識してかいていくと全体が見えて新たな発見があった。普段から数字や課題をあまり意識せずに仕事をしていたんだと反省。県の様々の部署の仕事がわかった面白かった。アンテナを高くして仕事をしていきたい。
・一日中、頭を使い、ボーとする時間がなく、有意義に時間を過ごした。他者からの指摘で気づくことが多かった。県の仕事が多岐にわたっていることがわかり面白かった。
・図解するなかで、うろおぼえ、知らないこと、わかっていないところが、浮き彫りになった。特に数値がまったく頭に入っていなかたっと反省。職場、仕事の課題も見えてきた。
・図解をすると関係性が見えてくる。問題意識がでてくる。こんなに頭を使うとは思っていなかった。以上が、新しい発見。明日からの仕事に活かせる。
・改善策を考える上でのヒントが得られた。
・新しい考え方に触れた。
・県民意識が足りなかったことに気がついた。
・自分は頭が固い。
・他の人の仕事について、質問を考えつつ聞くの大変でした・
・他の人たちの図を用いた発表を次々とみていくにおは非常に疲れた。
・大きなヒントを得られた。
・いままでの仕事に対する考え方、仕方は間違っていたのではないか?
・根拠法規も含めてあらためて見直すきっかけになった。
・納得することが多い研修でした。
・よい図がつくることで、相手に伝えるスキルが飛躍的に向上しそうだ・
・言葉と丸と線だけでここまで表現できることに驚いた。
・大変役にたった。大学時代に知っていれば卒業論文発表に工夫ができた。事業説明を行う際に利用する。
・とても頭を使う作業。
・疲れた。
・図解には一人一人の個性がでている。
・引継書で活用。
・自分の業務について深く考えることができた。
・チラシやポスターに活かしたい。
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「名言との対話」9月7日。山口淑子「順風満帆? いや、人生にそんなことはめったにない」
山口 淑子(やまぐち よしこ、1920年(大正9年)2月12日 - 2014年(平成26年)9月7日)は、日本の歌手、女優、政治家である。94歳で没。
山口淑子、李香蘭、潘淑華、シャーリー・ヤマグチ、ヨシコ・ノグチ、大鷹淑子、ジャミーラ、と一生のうちに様々に名前を変えている。戦争が影を落とす「時代」に絡め取られた人生であったことをうかがわさせる。
父の赴任先の中国で生まれ暮らす。4歳から北京官話を習う。13歳、父の親友・李際春将軍の義理の娘となり、「李香蘭」という中国名をもらい、歌手デビュー。18歳、女優デビュー。反日・抗日の中、中国人として生きる。中国人として祖国を裏切った漢奸の容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられたが、日本人であることが証明され、軍事法廷で無罪になり、国外退去宣告。親しかった「男装の麗人」川島芳子は、戸籍に養女としての登録がされていなく日本人であることが証明できずに銃殺された。
帰国後、15歳年上の彫刻家、45歳のイサム・ノグチとの結婚は「お互いの仕事に支障をきたしらたわかれましょう」という約束に沿って、5年で協議離婚。「芸術の使徒のような人」の研ぎ澄まされた日常に、尊敬し感動しながら、どこか息苦しさ感じていた。
8歳年下の外交官・大鷹弘と再婚。こちらは弘がなくなるまで添い遂げた。38歳で女優を引退し、夫の赴任地・ミャンマー、ジュネーブで生活。48歳、帰国し、ジャーナリストとして、テレビの司会や、ベトナム、カンボジア、アラブ、ヨルダン、レバノン、イスラエルを取材。元赤軍派幹部の重信房子を独占インタビュー。54歳、参議院議員初当選、以後18年議員として活動。環境庁政務次官、参院・沖縄北方特別委員長、自民党外交調査会副会長、参院外務委員長などを歴任する。
山口淑子の波瀾に満ちた人生は、順風満帆どころではない。人生そのものが中国、日本、アジア、アメリカ、ヨーロッパという世界を舞台にした壮大で、1世紀に及ぶ長大なドラマのようだ。時代に翻弄されながら、その波に流されずに、自分の人生の主人公として生き切った女性がここにいる。