まず、10分ほどのビデオで中江藤樹の全体像を頭に入れる。「あかぎれこうやくの話」(親孝行よりも勉強せよ)。「馬方又左衛門」(忘れものの200両を届けお礼をもらわない)「農夫の道案内」(服を改めて案内する)など、いずれも藤樹先生の偉さがわかるのエピソードだ。
次に記念館の女性職員が資料を使いながら、丁寧に説明種しれくれたので、藤樹のことがよくわかる。自宅の庭に藤の木があり、弟子たちが尊称として藤樹先生と呼んだ。
11歳で「論語」。17歳、「四書大全」30余巻を独学で読み朱子学に傾倒。27歳、辞職願いが受け入れられず脱藩し、京都滞在の後に小川村に帰郷。塾を開き住民を感化し、尊敬を集め、世間は「近江聖人」と呼んだ。小川村は、住民が手習いをし、行いを慎んだので、よい風俗になった。それが、数々の逸話になって残っている。37歳、「陽明全書」を読み、疑念が解けて陽明学を信奉するようになる。
林羅山らが代表する朱子学を、藤樹は「俗儒」、にせ学問、と呼び批判。
私塾での14年間では、備前岡山の池田光政に仕え治山治水に活躍した熊沢蕃山や、渕岡山などの逸材が出て藤樹の名声が高くなる。主な著書は「翁問答」(武士向け。ビジネス書として読まれている)、「鑑草」(女性の生き方)などがある。
明治初年から1945年までの旧教科書に登場する近江の偉人のランキングがある。これによると 、井伊直弼35回、石田三成29回、山内一豊の妻28回、最澄24回を抑えて、88回と圧倒的な一位だ。科目別では「修身」51回、「歴史」25回、「国語」11回、「唱歌」1回。
戦前は、「修身」の先生としては、二宮尊徳以上に国民に知られた人物だった。戦後の民主主義の世の中で忘れられた。
今でも亡くなった3月7日は「立志祭」として子ども達が作文を書く。「勉強をすれば、聖人といわれるほど徳の高い人になれる」と藤樹が11歳で志を決めたことに由来する。
朱子学は、身分という形から入り、知識を詰め込むことから限界を感じ、陽明学に転向する。自分の心を磨き続けると形は自然に整っていく。行動に移して学んだことになる。
中国の陽明学では「良知を致す」と読むが、藤樹は「良知に致る」と読む。生まれ持っている良知を生まれついて知っている良知に到達する。そして天と地が一致するのである。藤樹は、陽明学を基礎として、仏教、道教を取り込み、独自の陽明学をうち立てたことから、日本陽明学の祖となる。
藤樹の儒学とは、朱子学の「理学」に対して「心学」である。良知心学。
聞いたことをすぐ口に出す「口耳の学」であってはならない。
心のけがれをきよめ、身のおこないをよくする。四書五経を読むのは、自分に内在している良知に致るための手段だ。まず主体的に「志」を立てよ。心学にととめれば、平人から聖人にいたる。聖学である。
藤樹書院は、塾生たちの寄付で建てられた。
藤樹の学問は、渕岡山(1617ー1686)らの努力によって、全国に広まる。京都学派、美作学派、熊本学派、大阪学派、伊勢学派、江戸学派、会津学派。
「当下一念」。くやむなよありし昔は是非もなし ひたすらたたせ当下一念
藤樹神社
内村鑑三『代表的日本人』の中で、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮とともに中江藤樹を紹介している。この中で、真の先生、真の弟子、真の教育を、みることができると述べている。 童門冬二『小説中江藤樹』上下巻も合わせて読みたい。
藤樹書院。
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約され器にあれど 聖たれ聖たれよと聲うちに聞く、と清水安三は67歳の時に、歌を詠んでいる。中江藤樹を師と仰ぎ、粗衣粗食して聖人の道に励んだのだ。
中江藤樹は清水安三に影響を与え、その影響力が桜美林大学をつくった。その大学で多くの若人が学んでいる。全国各地の学派もそうだが、ここにも一人の人物の影響力の大きさを感じる。中江藤樹の偉さを改めて思った。
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「名言との対話」10月2日。大滝秀治「自信の上に自惚れがある。謙虚の下に卑屈がある。自惚れは自信過剰、卑屈は謙虚の下、だけど、自信と謙虚のあいだでもって、一生懸命にやっていればいんじゃないか」
大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年(大正14年)6月6日 - 2012年(平成24年)10月2日)は、日本の俳優・ナレーター。文化功労者。
若い頃より老け役を演じることが多かった大滝秀治は、 名優の一人として舞台・テレビドラマ・映画・テレビコマーシャルと60年以上にわたり幅広く活躍した。民藝創設に参加し、民藝の看板俳優のひとりとして、演劇賞も多く受賞している。
師匠の滝沢修からは、「熱演という言葉は、過不足でいえば過である」「きみの芝居は勢いでやっている。表現は意志であって感情ではない」と教えらえた。また、もう一人の師匠の宇野重吉からは「活字が見えなくなって初めて台詞が言葉になる。舞台は言葉だ」との教えを受けて愚直に取り組んだのだが、稽古中に宇野からもらった言葉を全部清書して持っていいたという。
「
自惚れ。自信。謙虚。卑屈。この段階はわかりやすい。自惚れず、卑屈にならず、自信と謙虚の間を上下しながら一生懸命やっていこう。