『渡部昇一 一日一言』を読了。
箴言が人を創る。あなたの好きな格言を教えてくれ、そうしたらあなたがどんな人か教えてあげよう。渡部昇一という人物が、 どういう原材料で構成されているかがわかる本だ。そうなっていない自分を叱咤して、あそこまでになったということだろう。
以下。
マズロー「どうすべきか迷っている時は、ホンネに忠実であれ」
宮本武蔵「神仏は尊ぶべし、頼むべからず」
ロックフェラー「うんと稼ぎ、うんと貯め、うんと寄付せよ」
古人「名を成すは毎に窮苦の日にあり、事を敗るは多く因す得意の時」
王陽明「学問を成すには、まず志を立てることが一番である」
ヴィクトル・ユーゴー「人間は力が不足しているのではなく、強い意志に欠けているのだ」
チャールズ・ダーウィン「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」
アラン「少し苦労して生きていくことはいいことである。生きていく上で波瀾があることはいいことである」
野間清治「工夫なき苦労は一文の値打ちもない」
セネカ「徳というものは強い意志と健全な意志によるものである」
幸田露伴「順に逆らえば仙に入る」
ヒルティ「揺るがない道徳的な確信、良い精神的な教養、愛、誠実、仕事の能力、仕事の楽しみ、精神および肉体の健康、幸せな家庭、少数の友人、そしていささかの財産」
スノーデン「境遇が不満ならば改善するように努力しなければいけない。それがどうにも変えられないものだったら、それ日甘んじるように腹を決めなければならない」
サルトル「貨幣は私の力を表わす」
ヒルティー「気が乗るか乗らないかは、仕事を始めれば自然に解決する」
エマソン「たった一人で行動すれば、すでに一人でしたことが、君を正当だと証明してくれる」
スマイルズ「人は誰でも、優れた人格を得ることを人生最大の目的とすべきである」「
模範的性格。道徳。自尊心。人を敬う。名誉心」
易経「君子は豹変酢、小人は革面す」
セネカ「親切を与えた人は黙るべし、受けた人は語るべし」
ホラティウス「各々の日を最後の日の夜明けだと信ぜよ」
船井幸雄「必ず成功するコンサルティングとは、成功しそうもない会社のコンサルティングはしないことである」
スキート「毎日、同じテーマについて何時間も着実に仕事をし、しかも一年中ほとんど毎日それをくり返すならば、いかに多くの仕事をなしうるかは、まことに驚くべきものがあります」
ゼークト「いつでも上機嫌でいること、朗らかな気分を維持できる人が司令官にとって一番重要である」
幸田露伴「すべて自分のせいにする」
アインシュタイン「長いくるしい努力なしに、ただの思いつきなどと言うものはないのです」
セネカ「それを自然、宿命、運とよべ、これらはすべて同一の神の名である」「少し所有する人が貧乏なのではなく、更に多くを欲する人が貧乏なのである」
ベーコン「少数のある本はよく噛んで消化すべきである」
桂太郎「上位はつねに空席である」
岩崎弥太郎「怖いのは樽の底から一滴でも漏ることだ。そいつを注意してください」
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夜は岡山で知研の仲間との懇親。
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「名言との対話」10月14日。張学良「「(西安事件に関して)私がすべての責任を負っています。しかしまったく後悔はしていない」
張 学良(ちょう がくりょう、1901年6月3日 - 2001年10月14日)は、中華民国の軍人・政治家。張作霖の長男。享年100。
中国・北の軍閥領袖張作霖の長男。 19 28年6月張作霖が日本軍により爆殺されると、後継者として東北の実権を掌握。蒋介石の国民政府と提携する。1931年の満州事変以後、国民政府の対日方針に従って無抵抗主義をとり,東北を日本軍の占領にゆだねた。紅軍の長征に際して西北剿匪副司令に任命されたが,ひそかに共産党と停戦協定を結び、1936年 12月西安に到着した蒋介石を逮捕監禁し、内戦停止を迫る西安事件を起こす。信頼できるすばらしい人格者と語った周恩来らの調停で蒋介石は内戦を停止し第二次国共合作による抗日を受入れて釈放された。
この事件で張学良自身は官職を剥奪され、禁錮刑に処せられた。 1949年蒋介石の台湾逃亡に伴い連行され、1990年まで自宅軟禁状態にあった。 その幽閉は37歳から始まり、蒋経国によって解除されたのは79歳だった。1994年名誉回復、ハワイに移住した。2001年に死去。100歳没。
西安事件によって、張学良は結果的に、国民党の最後の包囲網で消滅の危機にあった中国共産党を救い出して、共産党と国民党の統一戦線を促し、日本降伏の後の内戦における共産党の勝利と、その後の中華人民共和国の成立に道を開くことになった。2001年の張学良の死去に際しては、江沢民総書記は「偉大な愛国者」「中華民族の永遠の功臣」と遺族に弔電を打っている。
「日本は何故東条(英機)のような戦犯を靖国神社に祭っているのか。靖国神社に祭られる人は英雄である。戦犯は日本国家の罪人ではないのか。彼らを祭っているのは、彼らを英雄と認めたからなのか」
張学良の軍歴はわずか8年。西安事件という一点だけで歴史に名が残った。その張学良は、自由を失って、黙々と人生の大半を寂しく暮らした。『張学良 その数奇なる運命』には隠遁生活をいかに送ったのかが記されている。本。新聞。麻雀。将棋。囲碁。花札。行楽。明と清の歴史研究、王陽明の研究。書画。、、、、。思い切りのよい人であり、そういった性格によって幽閉期間を堪え忍ぶことができた。1995年にはキリスト教徒に帰依している。娯楽、研究などで無聊の日々を慰めたのだろう。20世紀最初の年の1901年から、21世紀の最初の年の2001年までの100年間、30代後半から40年余後の老人になるまでの日々を幽閉で過ごしたことについては、蒋介石夫人の宋美齢も気の毒なことをしたと述懐している。この張学良もセンテナリアンだったのだ。