品川の大学院で、教授会:2019年春修了者修士論文・実践知論文予備審査会の報告がメインテーマ。以下、キーワード。日本の産業現場の問題が一望できる感がある。
成長マインド。中国企業の人材流出。外国人労働者受け入れ。ミャンマーの人材育成。成長戦略。留学生の就職。ドラッグストアの中国進出。バイオマス。中国観光客。フィットネスクラブ。台湾福祉用具レンタル。企業見学。構造変革。中国高齢者介護。やりがい。戦略的直感。離職対策。分散型労働。SDGSビジネス。日本港湾の未来。身元保証人問題。介護施設のマネジメント。中国マンジェリコ茶。病院組織。歓楽街。医療サービス大学院。抜擢。祭り。民泊。ヘルスツーリズム。教育研修部門。新規事業創出。ベトナム小売企業。最寄り品。営業マネジャー。中国浙江省中小企業。意思決定。映画コンテンツ。鉄道貨物輸送の生き残り。
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金先生・バートル先生とコーヒーをのみながら懇談
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九段サテライト:インターゼミ。
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「名言との対話」10月27日。三笠宮崇仁「人生というものはおもしろいものである。一喜一憂すべきではない」
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人。昭和天皇の末弟。
幼少時より「童謡の宮さま」と呼ばれるほど文才があった。学習院中等科終了後、陸軍に入る。陸軍士官学校、陸軍大学卒。戦術と戦史が中心の陸大で、血の通っている生きた人間の肌に触れる戦史に興味を惹かれ、後に歴史学の道を歩む。
戦時中、兄の大元帥陛下に、中国がつくった日本軍の残虐行為をテーマにした勝利品の映画を見せている。日露戦争からわずか2-30年しかたたないのにどうして軍紀がゆるんだのかと考え込む。石原莞爾擁立運動から東条英機首相暗殺未遂事件にも関与した。
1946年、枢密院本会議において、日本国憲法制定の採決が行われた際、GHQによるマッカーサー憲法であり日本人の手によるものではないとして、採決を棄権している。一方で、日本国憲法第九条の非武装中立については支持した。
終戦後、「『格子なき牢獄』から解放された」ので生活環境が激変したと述べている。「井の中の蛙」を脱して、人間の情熱をかきたてる根本的な要因を探究しようと、東大文学部の研究生となる。東京女子大などで歴史を講義し、「宮さま講師」と呼ばれた。語学に堪能で、流暢な中国語・ヘブライ語を操る。「菊のカーテン」という言葉を最初に使った。
「われわれは歴史のなかから、人間社会がいかに変わっていくかをはっきりとつかみとって、人生ももつれた糸をほぐしていなかければならない」
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」
歴史を通じて全世界を支配している宗教的思想の基礎が古代オリエントにあり、ユダヤ教が確立され、キリスト教、イスラム教、そしてマルクシズムにもその影響があるとし、社団法人日本オリエント学会設立し、会長となる。また、財団法人中近東文化センターが設立された際には、総裁を引き受けている。
『帝王と墓と民衆 - オリエントのあけぼの(付・わが思い出の記)』(カッパブックス:光文社、1956年)。『乾燥の国 - イラン・イラクの旅』(平凡社、1957年)。『大世界史1 ここに歴史はじまる』文藝春秋、1967年。『生活の世界歴史 1 古代オリエントの生活』河出書房新社、1976年 のち文庫。『古代オリエント史と私』(学生社、1984年)。『古代エジプトの神々 - その誕生と発展』(日本放送出版協会、1988年)。『レクリエーション随想録』日本レクリエーション協会、1998年3月。『文明のあけぼの - 古代オリエントの世界』(集英社、2002年)。『わが歴史研究の七十年』(学生社、2008年)。以上にみるように著書も多い。私は『古代オリエント史と私』を読んだ。
心不全のため薨去。享年102(満100歳)。1915生まれ。明治天皇の崩御からわずか数年の第一次世界大戦の真っ最中に生まれて、昭和の士官学校時代には、5・15事件、2・26事件に遭遇し、兄陛下の沈痛な面持ちをみている。そして、大東亜戦争、戦後民主主義、高度成長、バブル崩壊、平成時代、そして21世紀の初頭の10数年を生きて、わずか2年前に亡くなっている。「人生というものはおもしろいものである。一喜一憂すべきではない」というセンテナリアン(百寿者)三笠宮の言葉には重みがある。