相模湖CCで弟とラウンド

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相模湖CCで弟とラウンド。 本日唯一のハイライトはバーディを奪取したショートホール。一打目の白いボールをねじ込んだ。ただしトータルスコアは最悪!やはり、まぐれか、、、。

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7時44分スタートで、13時前に終了。コースはよく整備されていているが、この夏から秋にかけの台風で、折れた木々をずいぶん見かけた。

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「名言との対話」11月19日。甘糟章「読者の心の奥底の飢えとか、ニーズを見つけ、そこに穴を開けるのが編集者の仕事です」

 甘糟 章(あまかす あきら、1929年5月30日 - 2013年11月19日)は、日本の雑誌編集者マガジンハウス副社長。

 1959年平凡出版に入社。「平凡パンチ」、「週刊平凡」、「an・an」の編集長として、1960年代から70年代の流行の先駆者として活躍。その後、「クロワッサン」、「ダカーポ」などを創刊し、大人になった「an・an」世代へのライフスタイルの提言を行う。1980年代に至るまで、出版文化の中での影響力は大きなものがあった。「ハマトラ」(横浜・元町生まれのファッションスタイル)や「リセルック]の名付け親とも伝えられる。

 平凡パンチ:1964年4月創刊。男性向け総合情報誌。ファッション、風俗、グラビアなどを扱い、ラジオ番組「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」をスポンサードするなど、他メディアへの展開も行なった。

an・an:始まりは、『平凡パンチ』女性版。若年層をメインに購読されたいわゆるファッション雑誌。話題提供の発信源として認知された。

クロワッサン:創刊号のキャッチフレーズは「ふたりで読む ニュー・ファミリーの生活誌」。40歳前後の主婦がターゲット。生活だけでなくファッション・文化などもテーマとした。

ダカーポ創刊時のキャッチコピーは、「現代そのものが圧縮されているリトルマガジン」。誌面で取り上げるジャンルは、政治経済宗教文学サブカルチャーなどと幅広い。

青春時代には「平凡パンチ」は「週刊プレイボーイ」と並んで影響を受けた雑誌だ。ビジネスマン時代は、料理された情報が満載の小型版型の「ダカーポ」も好きな雑誌だった。JAL広報時代にはマガジンハウスの編集者とはよく付き合った。彼らはみなセンスがよく、時代の最先端を突っ走っている人たちだった。

 読者のニーズとは聞こえがいいが、それは「飢え」であると企画の名人・甘糟章は断言している。若い男性の飢え、若い女性の飢え、主婦の飢え、現代人の飢え、それぞれの「飢え」を満たすべく、強力なドリルで時代に穴を開けていこうとしたのが甘糟章の雑誌作りであった。メディアの形は変わっても、核心である「飢え」に焦点をあてるメディアは、人々の精神と肉体を撃つ。それは時代のテーマそのものだからだ。