東京都人材センター。秋のリレー講座最終回。

10時:水谷IR室長:分析と提言

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11時:岩澤さん:パンフ作成の打ち合わせ

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13時:東京都人材育成センターの担当者来訪:2月の都庁での技術職員に向けての講演の打ち合わせ。テーマは「合意術」。

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14時:長島部長:相談。

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14時半:知研の高橋副理事長来訪:近況報告。

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14時50分:秋学期リレー講座最終回:寺島学長。

累計受講者14.1万人。皆勤賞は106名(多摩87、湘南10、九段9)。

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・すべては時代認識。経営も個人も。情報感受性。

・2019年「経済の変調とリスクの顕在化」(ロンドンエコノミスト)。世界経済は3%台前半に減速。欧州減速(伊・仏・独・英国)。株価乱高下。トランプ当選からの根拠なき熱狂から24%ダウン。FRB長期金利を確実に上げてきた。日本は1%台と低迷。時価総額でパナ・東芝・日立の合10兆円未満、アップル100兆円の10分の1。IT7社(米中)。蛙飛び経済・夢に金がつく時代・データリズム。

・日本経済:勤労者可処分所得はピークの1997年49.7万円、2018年は42.4万円(1997年以降最低は2011年の42.0万円)。月7.4万円減・年間88.8万円。中間層の没落。家計消費支出(全国全世帯)は2000年から2018年対比で月335821円減、年40.3万減少。 衣料は37.7%減少。増加は通信・諸雑費・自動車関連、、。減少はこづかい・交際費で計2万2千円減(月)・年24万円の減。仕送り金・教養・書籍なども減少。日本人は学ばなくなった、学べなくなった。内向・内向きの保守化。自画自賛番組の横行。海外渡航はずっと1700万人台、人数は600万人か。高齢者と若い女性中心で近場。壮年者は出張のみ。  

・20世紀の日本。人口4300万人から2008年に1.28億人と3倍。21世紀は2050年1億人、世紀末6000万人で半減する。世界人口は2倍になる。国道16号線沿いの団地。食と農との関わり。魂の基軸としての宗教がない。                    (データから:教育支出は軒並み減少:仕送り金・教養娯楽用耐久財・書籍・授業料・教養娯楽サービス・教養娯楽用品・補習教育・教科書・学習参考教材)。一人当たりGDP(2018年予):シンガ6.1。香港4.8。日本4.0、2013水準世界25位。韓国3.2。台湾2.6。中国1.0。タイ0.7。世界GDPシェア:1820年日本3%、1988年16%、2018年6%。世界人口:2000年61億・2008年68億・2018年76億・2050年98億・2100年112億。

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17時半:立川

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「名言との対話」1月10日。田中一光「デザインは異種交配していかないと次に発展しない。常に何と結びついたらいいのかを考えることが大切だ。異種交配の装置をつくることでデザインの領域が拡大していく」

田中 一光(たなか いっこう、本名:たなか かずあき、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。

いくつかの企業でグラフィックデザインを手がけ、1963年に独立。日本の伝統を現代化したデザインで国際的に高い評価を受けた。毎日産業デザイン賞 (1966) 、芸術選奨文部大臣新人賞 (1980) 、ニューヨークADC金賞 (1986) 、毎日芸術賞 (1988) ほか受賞多数。作品集『田中一光デザインの世界』 (1987) がある。2000年文化功労者

田中一光自伝 われらデザインの時代』を読んだ。自分にとっての大学院でもあった鐘紡、産経新聞社、ライトパブリシティ、日本デザインセンターで仕事をし、独立する。若い時代の田中一光は条件反射力が高く仕事が早かったから多くの注文がくる。その忙しさが才能を引き出してくれた。図案家・版下屋から、グラフィックデザイナー、そしてアートディレクターへと時代とともに進化していく姿が、同時代の優れた人々と織りなす舞台の中で活写されている。この本はグラフィックデザイン史にもなっている。

今やナショナルブランドと匹敵する「無印商品」は西武の堤清二との会話「視点を少しずらして考えると、発見がある」という気づきから生まれた。田中一光によればグラフィックデザインとは一言でいうと「ヴィジュアル・コミュニケーション」である。この言葉には視覚的な方法論だけでなく、開放的な知性や人間性の在り方も含んでいる。そして、東京オリンピックや数々のイベントに関わって成長した田中一光自身は、デザイナーは明日の光を全身で信じながら、どこまでも生き生きと行動すべき職業だと考えていた。

田中一光の名前は、亀倉雄作や横尾忠則などの本などでよく出てくるから知っているが、今回初めてその生涯と仕事を垣間見た。なんとなく選んだ美術学校の図案科から始まる、先の見えない旅は、偶然と必然の出会いによってしだいに確かなものになっていくのだが、行動力が「運」を引き寄せたという感じも持った。

「ぼくは一人暮らしだから、最後は誰にも迷惑をかけずにスッと消えたいね」と語っていたように、突然何の前触れもなく旅立っている。同業者の一人は田中一光を現代の「利休」という。

日本文化は、視覚的視点からは、世阿弥、利休、琳派、浮世絵、歌舞伎の5つに集約されると考え、歴史を学び、デザインに取り入れていく。その日本のアイデンティを確保したうえで、異国との仕事にも取り組んでいる。田中一光は「企業とデザイナー、社会とデザイナーという双方向のチャンネルを常に確保しておく」「デザインは色と形ばかりではない。社会との連動が必要だ」というように、常に新しい分野と人と時代の最先端・最前線の仕事をこないし続けた。世界と時代と社会の変化と並走しながらデザイン分野もデザイナー自身も進化していく。それを田中一光は「異種交配」というキーワードで示したのである。 

田中一光自伝 われらデザインの時代 (白水uブックス)

田中一光自伝 われらデザインの時代 (白水uブックス)