退任記念講義の受講生の感想のまとめ。昼は兄弟会。午後は出版社で新刊の打ち合わせ。

退任記念講義の受講生の感想。エニアグラムの性格タイプ別。

<タイプ1> ・今まで失敗を恐れ、なるべく失敗をしないよう にと⽣きてきた。これからは失敗をポジティブに 捉えて⽣きていこうと思った。 ・改めて失敗は悪いことではないと分かった。⼀ 番悪いのは失敗を恐れて何もしないことで、失敗 してもそこから学べば良いのだと思った。若いう ちにこそ⾊々な事に挑戦して失敗していくことが ⼤切なのだと思った。 ・先⽣の⼈⽣のお話が聞けて今までのどの⾔葉よ りも重みがあると思った。 ・失敗することは⾃分が成⻑したということを学 習したので、学⽣のうちにたくさん失敗してたく さん学習したいと考えた。 ・この授業を受けて、個⼈、仕事、⼈⽣という3 つの意味を知れた。どの先⽣も先⽣を尊敬してい る理由が分かった気がします。

<タイプ2> ・こんな凄い⼈でも昔は案外、今の⾃分たちと同 じ⼈だったんだなと感じた。そこで、何を得て、 ⾏動にうつすか、そこで差が出るのだなと思った。 ・プラスになることばかりだった。 ・この講義が終わっても偉⼈館に⾏ってみたいと 思った。 ・⾃分の考え⽅を変える良い⾵を受けることがで きた。 ・佐藤⼀斎の少壮⽼死にはとても感⼼した。 ・先⽣の⼈⽣を尊敬します。 ・改めて久恒先⽣の偉⼤さを確認した。 ・全体を⾒ることができないから、選択、決断で きないのだと先⽣が仰っていたことが、今の⾃分 に⾔っているのではないかと捉えた。 ・「失敗をしないように⽣きている⼈はそれこそ ⼤きな失敗である」に、⼤きな勇気を貰えた。 ・ナポレオンの⾔葉は奥が深くて良いなと思った。 ・テレビなどで偉⼈の紹介をしていたら⾒てみよ うと思った。 ・⾃分もいつかは⾔葉で⼈を動かしていきたい。 ・計画通りにはいかないが⽴てないよりはまし。 学⽣のうちにたくさん失敗をしろという⾔葉。そ の通りだと思った。

<タイプ3> ・また違う所でお会いしたら話を聞きたいと思っ た。 ・感動した。 ・⼈は失敗から多くを学ぶ、今後の社会⼈⽣活で 多く失敗し成⻑していきたいと思う。 ・多くの失敗から⾃分は何ができるのかを⾒つけ たのだと思う。⼈⽣は計画通りにはいかないが、 計画を⽴てることが重要であると分かった。⾃分 の⼈⽣にはチャンレンジする⼼が必要だと思った。 ・久恒先⽣の⼈⽣観について、とても興味深いお 話をいただきありがとうございました。私は失敗 を恐れてきたので、そのような話をいただいてと ても励みになっております。

<タイプ4> ・未来は予想するよりも⾃分で創れば良いとい う⾔葉が最も⼼に残りこれから仕事をする上で、 そういった志を持って仕事をしていきたい。 ・未来は想像して⾏動することで動かすことが できるのだと感じた。 ・あまり深く考えず進もうと思った。⼈⽣の計 画を10年ごとにたててみようと思う。

<タイプ5> ・⾃分は失敗を恐れてあまり消極的に⾏動がで きていなかったので、これからは失敗を恐れず 新しいことにチャレンジしていこうと思った。 ・パワーポイントで図が描けるようになった。 ・先⽣⾃⾝のお話を頂き⼆度と聞けない話を聞 けて楽しい授業でした。 ・いろんな事に挑戦して失敗してもそこから学 んでいくことが⼤切なんだと思った。 ・久恒先⽣の授業は他の先⽣の授業と⼤きく違 い、本当のパワーポイントの使い⽅、⼈⽣の進 み⽅を教えてくれた。とても⼼に残った。 ・尊敬できる調べたいと思える⼈物を⾒つける ことが出来た。 ・久恒ゼミに⼊る予定でしたが残念でした。偉 ⼈たちは、⾃分の持ってる価値観を⼀番の武器 にしている。 ・先⽣の講義を受けられて本当に良かった。

<タイプ6> ・くじけた時や悩んだ時、先⽣の⾔葉を思い出し たいと思います。 ・図解の講義と、この⽴志⼈物伝の講義を受けた がどちらも役に⽴つ講義だった。楽しかったから ⼀度も休まないで講義を受けた。 ・先⽣でなければ絶対に聞けなかったであろう話 もあり貴重な体験ができた。 ・⻑い間多摩⼤学を⽀え続けてくれてありがとう ございました。良い多摩⼤学を発信していけたら 良いなと思います。 ・公私の他に個の時間も⼤切だと分かった。 ・⾃分の思いを書き留めること、継続することが ⼤切だと学び、毎⽇⽇記をつけるようになった。 ・⼈⽣は失敗から始まるのだと感じた。 ・⼈⽣とは⾊々な⾃由がないとやっていけないと いうことを図で⾒て確かにそうだと思った。未来 は考えるのではなく⾃分で作り出すもの。 ・沢⼭の失敗や時に逃げていたりしている。そう 聞いた時に私の中で何か吹っ切れたように感じた。 最後の講義に参加できたことを幸せに思います。 運が良かった。先⽣の今までとこれからを聞いて 正解も間違いもなくて⼤きな眼で⼼で経験してい く事が⼤切なのだと感じました。 ・⼈⽣計画をして良い⼈⽣にしたいと思った。 ・何もしないで成功しても成功の⼤きさが違うと いう⾔葉が⼀番⼼に残った。私は失敗を恐れ、楽 して成功できる道へと進もうとしていた。

<タイプ7> ・今ではとても凄い久恒先⽣にも⼈⽣を振り返る と、様々な経験や失敗があり今があるのだなと感 じた。 ・先⽣の授業は、これを伝えたい!という熱意が とても伝わってきた。 ・久恒先⽣は失敗(経験)して⼈⽣を豊かにしてきた ことを知った。確かに成功の本はたくさんあるが 失敗についての本はない。 ・60年以上の⼈⽣の⼤半をグラフ化し、振り返る ことを可能にする努⼒が凄いと思う。30年近くも 継続していくエネルギー、モチベーションはどこ からやってくるのか是⾮聞いてみたい。 ・久恒先⽣が思っていたよりもずっと凄い⼈で びっくりした。 ・毎⽇ブログを続け5000⽇オーバーには感服いた しました。

<タイプ8> ・楽しくて興味の湧いてくる講義だった。 ・成功の反対は失敗ではない!

<タイプ9> ・未来を⾒つめ、考えることができて、とても有 意義な講義だった。 ・図解を作る側の⼈も簡単で⾒ることも簡単、素 晴らしい講義だったと思う。 ・平成が終わり新しい年号が始まろうとしていま す。教授も新しいことが始まり続けることをお祈 り申し上げます。 ・⾃分の⼈⽣を記録し、⽬標を図にしている先⽣ だからこそ、やっておいて良かったと確かに感じ るものがあるのだと思いますし、ブレない芯を持 つには⼈⽣観、価値観を確⽴することが⼤切だと 分かった。 ・「これまでの⼈⽣は失敗の連続だ」と先⽣は ⾔ったけど、実は素晴らしいと思います。先⽣は ずっと⾃分の⼈⽣を計画している。「失敗する⼈ は成功する」

<タイプ?> ・先⽣のブログなど⾒て思い出そうと思う。 ・先⽣が沢⼭経験していてすごいと思った。 ・⼀回⼀回の授業で何か1つ得られる楽しい時間 だった。⾃分についてくれた後輩にも影響を与え られたらいいなと思う。 ・話を聴いていてすごく⾯⽩かった。もっと⾊々 な話を聴きたいと思いました。教授の⽅々が楽し そうに聴いているのが印象的でした。これまであ らゆる有名な偉⼈の話を聴いてきたが、久恒さん の今までの経験の話が⼀番⾯⽩かった。 ・偉⼈のすばらしさを知ることが出来た。久恒先 ⽣のこれまでの⼈⽣の⽣き⽅とこれからの⽣き⽅ について素晴らしい計画を持っていたのだという ことが分かった。⾃分の⼈⽣も悔いのないように これからも過ごしていきたいと思う。 ・失敗というのは重ねれば重ねるほど将来の⾃分 に⽣きてくるんだと、今⽇の講義で⼀番理解を深 めた。 ・この講義を通して物の⾒⽅が⼤きくかわりまし た。学ぶには本を読むことが⼀番⼤事なんだなと 思った。 ・久恒先⽣のことがとても細かく分かった。 ・失敗や挫折に対する価値観が変わった。ネガ ティブ思考が強かった今までの私にはとてもタメ になった講義でした。 ・失敗しても良いと思えた。

・先⽣の授業は他の授業とは違い楽しく聞くこと ができた。 ・⾃分の⼼に響いた⾔葉を胸に刻み⽣きていくの が⼤切だと思った。 ・⾃分を分析するのが楽しくなった。 ・⼈⽣の考え⽅がとても参考になりました。 ・先⽣の話を詳しく聞けて⼈間は失敗から成⻑し ていくものだと改めて感じた。 ・失敗を経験すればいずれか結果へと繋がること は何かが繋がっているのだと感じた。 ・失敗の連続の多さに驚いた。沢⼭の出会いが⼈ を変えるんだなと改めて思った。 ・久恒先⽣のおかげで図解の素晴らしさや様々な 偉⼈の⽣き様を知ることができた。久恒先⽣の講 義は確実に⾃分の武器を⾝につけることができる 講義でした。 ・先⽣に勇気を頂いた。ありがとうございます。 ・⼈に影響を与える⼈とは⾃分をしっかり持って いる⼈だと理解した。 ・私⾃⾝失敗を避けて⽣きてきたかも知れない。 習慣など当たり前のことを当たり前に⽬の前のこ とをコツコツとこなすのは簡単なことではないが、 ⾃分の価値観や考えは⼤きく変化していると思う ので努めようと思った。

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以下、教職員からの感想。

どれを取っても説得⼒があり、納得もできるこ とばかりで、⼤変勉強になりました。いくつか の項⽬は分かっているつもりではありますが、 仕事のせいにしたりして実⾏に移していません ので、今後は少しでも久恒先⽣に近づけるよう に実際⾏動して⾏きたいと思います。素晴らし い講義をどうもありがとうございました。

多摩⼤学を⽴派にマネジメントしていた だいた久恒先⽣のバックグラウンドと考 え⽅が分かり興味深かった。ご苦労様で した。久恒先⽣のマネジメントなくして 現在の多摩⼤は無かったと思います。

学⽣というよりは、我々中年期を迎え、 迷える時期に貴重なお話を伺えたこと、 ⼤変ありがたく思います。今後の⾃分 を考える上で⼤切な時間となりました。

私⾃⾝も⼤学⼊試あたりから現在ま で失敗の連続ですが、今後は計画を ⽴て、何事にもチャレンジして失敗 を恐れずに⾏動したいと思います。

授業時間が重なり全部を聴けずに 残念でした。これからも⼤活躍な さること間違いないと思います。 遠くから、近くから、応援します。

11年間教育、研究、⼤学運営、改 ⾰、⼤変お疲れ様でした。多くの ことを学び、気付きを頂きました。 ⼼から感謝を申し上げます。

アーカイブ、ストックを⼤切に されたと、それが過去でなく未 来のためであることを感じた。

失敗の数こそ資産! その通りですね!

失敗を恐れる学⽣がどんどん増えて いる気がします。性格のタイプに応 じて4つの⾃由の⽐重は変わりそう だと感じました。是⾮時間的⾃由の 中に囲碁を⼊れましょう!

久恒先⽣はいつも明るく軽いノリでお仕事をさ れている様に感じていましたが、バックグラウ ンドに⾃らの歴史、あらゆる成⻑過程の記録を 残されていて、それらを有機的に結びつけてお られたのだと分かりました。私はこれまでの⾃ 分の歴史をあまり⼤切にして来なかった事を残 念に思います。近い未来にせまった退職後のこ とをこれを機会に考えていきたいと思います。

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早朝のパチンコ屋に並ぶ人々の列。

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昼:新宿の高野フルーツパーラーでの兄弟会。

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 午後:荻窪日本地域社会研究所を訪問。

・女性編集者と『新・深・真 知的生産の技術』(NPO法人知的生産の技術研究会編)の校正打ち合わせ。2月刊行予定。

・落合社長:天皇の本。日本酒と焼酎を飲みながら歓談。

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「名言との対話」1月22日。安部公房「通路の掘り進め方にはコツがある。自分の方から掘ってもだめなんだ。相手の方から掘り進めないと」

 
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
 
 
 

安部 公房 (あべ こうぼう、1924年 (大正13年3月7日 - 1993年 (平成5年) 1月22日) は、日本小説家劇作家演出家

母は公房の養育に熱心で文学理論を伝えた。恩師は2人いる。小学校の宮武城吉先生は読書指導に力を入れ年間1人平均80冊を読ませた。成城高校のドイツ語教師・阿部六郎先生申し訳ない恩師である。数学の天才だった公房は東京帝大医学部に進んだが、医者にはならずに文学者になった。

1962年 、昆虫採集の途次に迷い込んだ村に閉じ込められ、そこから脱出を図ろうとする教師とそれを阻もうとする村人を描いた『砂の女』を発表、世界30数か国語に翻訳された。私はこの本を読み、映画も観ている。『燃えつきた地図』はニューヨーク・タイムズの外国文学ベスト5に選ばれている。 主な受賞は、戦後文学賞 (1950年)、芥川龍之介賞 (1951年)、岸田演劇賞 (1958年)、読売文学賞 (1963年・1975年)、谷崎潤一郎賞 (1967年)、フランス最優秀外国文学賞 (1968年)、芸術選奨 (1972年) など。

安部公房日本人作家については、大江健三郎安岡章太郎のみを評価していた。井上靖を「物語作家」、井伏鱒二を「随筆作家」と罵倒していたそうだ。三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。友人の大江健三郎によれば「全集」を全部読んで面白いのは漱石と公房だという。「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」とノーベル賞関係者が後に語っている。

公房はアウトドア・スポーツが好きで、カメラマニアでもあった。また一番最初にワープロを使って原稿を書いた小説家であり、この文豪はNECワープロ文豪』の開発に関わった。日本でシンセサイザーを所有していたのは安部のほか冨田勲NHK電子音楽スタジオを数えるのみだった。戯曲を俳優座に書き下ろしていた公房は堤清二をスポンサーとして演劇集団「安部スタジオ」をつくる。妻と不仲になって独人住んだ芦ノ湖を見下ろす箱根の自宅での60歳頃の写真では、シンセサイザーイカ釣り用ランプなどに囲まれてご機嫌の笑顔をみせている。簡易現像セット、小型テープレコーダーなども使っていた。興味の幅が広い人であった。

 1992年 執筆中に脳内出血で東海大学病院に入院。経過良好で退院したが、自宅療養中にインフルエンザを発症し、1月20日多摩市日本医科大学多摩永山病院に入院し、死去。公房1993年1月22日没、妻・真知1993年9月22日没。2013年に、女優の山口果林が自身のエッセイ『安部公房とわたし』で、安部との20年以上に亘る愛人関係を公表した。このニュースに驚いたことがある。

安部公房は文学を他者との通路と考えていた。満州奉天の少年時代に商売もうまかった公房が得た相手から考えるという商売のコツは、小説にも通じていたのである。

安部公房伝

安部公房伝