古市憲寿『平成くん さようなら』

古市憲寿『平成くん さようなら』を読了。

 芥川賞候補作。田中康夫『なんとなくクリスタル』を思わせる作品。

安楽死を軸として「平成」を描く青春小説。

平成くん、さようなら

平成くん、さようなら

 

以下が、平成か、、、、。

 ポケモンGO。食べログドリスヴァンノッテン。サカイ。メゾンマルジェラ。ラッドミッシャー。トムブラウン。マノロラニク。クロコマット。UBER。ヴォストークグーグルホーム。グーグルカレンダー。iPhon。Gyalaxy Note。ジョンロブ。ウンバン。オウム真理教結審。YouTubeニコニコ動画。自殺ツーリズム。KARE.マイスリー。ウーマナイザー。テンピュール。殉死。EDM。サンローラン。進次郎。ツイッター。ヨヒンビン。IHerb。ヨヒンビン。ステアマスター。ルイ・ビトン。ブレスケア。アダム徳水。KITSUNE。ペネトレーション。マークジェイコブス。ケイコニシヤマ。TikTok六本木ヒルズクラブ。聞蔵。ヨミダス歴史館。ジョンロブ。エンディングサイト。インスタグラム。アマゾンフレッシュ。ヤマト運輸フェイスブック。Tinder。Lets note。俵万智。アミ。UGG。ジェラードピケ。ブラバンシア。テンペスト。レクサス。Macbookクリスタルガイザー。チームラボボーダレス。アイランドルミナ。VRゴーグル。インバウンド。ソラシドエア。アラン・デュカス。フィオレンティーナ蜷川実花。ミレニアルズ。エクスペリア。星野リゾート。白蓮堂。人狼。セオリー。デンハム。シュプリーム。ユニクロ。TPP。レーシク。OneDrive。サイドスロープ。メゾンキツネ。松尾さん。スカイツリー機械学習。AI。ベルソムラ。ヴァージル。アンリアレイジ。バレンシアガ。安室。UberEats。ポールスミス24karats。スイカ。ステンドラ。

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2月1日。近藤啓太郎「あんまり好き勝手のことばかりしていたものだから、とうとうわたしも罰が当っちゃいました」

近藤 啓太郎(こんどう けいたろう、1920年大正9年)3月25日 - 2002年平成14年)2月1日)は、日本作家

東京美術学校日本画科卒業。戦後近藤は千葉県鴨川で漁師生活をおくる。そして鴨川中学の図画教師として勤務する傍ら、 同郷の丹羽文雄主宰の「文学者」に参加し、小説を書き始める。吉行淳之介、安岡章大郎らと「第三の新人」と呼ばれる。

芥川賞候補の4回目で受賞。その間、選考委員だった師匠の丹羽文雄の評を書いてみよう。

第24回芥川賞候補。30歳時の『飛魚』は「或る部分のデッサンの確かさがうれしかった。作者をよく知っているだけに、うれしかった。女が描かれていないのが欠点だった」。第25回。31歳時の『盛粧』は「前候補作品「飛魚」よりは劣るが精一杯に書いている。原鉱と精選された部分がごちゃごちゃになっている。がその態度には好意が持てた」。第28回。32歳時の『黒南風』。「私は最後に(引用者中略)推した」「「飛魚」の方がよかったという人があったが、今度も漁師の生態が出てくる。(引用者中略)作品としては「黒南風」の方がはるかに秀れている。作者も成長している」「むろん欠点もあるが、自然主義的だというので片付けられる作品ではないのだ」。

そして1956年の第35回についに芥川賞を受賞した「海人舟」は36歳時の作品である。丹羽文雄は「「飛魚」「黒南風」の場合には、海に対する興味が強烈すぎて、小説の安定性を欠いていた。「海人舟」は、海と人間が渾然と一体になっている」「新風というわけにはいかないが、健康な後味のよさである。永年小説を書いていて常に気にかかることは「童心」ということである。初心忘るべからずであるが、この小説の中から私はそれを強く感じた」と評している。

師である丹羽によって、近藤啓太郎という一人の作家が誕生し、成長する過程が厳しく、かつ愛情深く描かれていることに感銘を受ける。また近藤にとって1年の漁師生活、そして鴨川での生活が作風に大きな影響を与えていることを感じる。

1960年代から、近藤啓太郎は好色通俗小説を書くようになる。自宅建築の借金返済のためだったそうだ。私は「啓」という名前が同じあったこともあり、なんとなく親しみを感じていたが、この作家は好色ものを書く人だと思っていた。近藤が愛した鴨川では、亀田総合病院で子どもたちが生まれており、鴨川グランドホテルの鈴木政夫とは懇意であった。このホテルは恋の句を多数残した情熱の俳人鈴木真砂女の実家である。近藤は真砂女に短歌を習っていた。ここには「鈴木真砂女ミュージアム」がある。いずれ訪問したい。

1972年に妻がガンを発病し翌年死去。その様子を描いた『微笑』を書く。その後、作風が変化し、エッセイなどを書く。「犬馬鹿物語」「楽に死ぬのがなぜ悪い」、安岡との対談・エッセイ「齢八十いまなお勉強」。東京美術学校で学んだこともあ日本画への造詣も深く、『大観伝』『近代日本画の巨匠たち』『菱田春草』『奥村土牛』(読売文学賞受賞)など美術評論も手がけている。

「罰があたった」という発言は、妻に対して言った言葉であるが、妻からは「冗談じゃないわ。罰の当る方向が違ってますよ。罰は直接あんたに当ればいいのに…」と返されたと自伝小説『微笑』の中で語っている。この人の小説や自伝、画家の伝記などを読んでみたい。