東京国立近代美術館「イメージコレクター 杉浦非水」展。

東京国立近代美術館「イメージコレクター 杉浦非水」展。

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杉浦非水(1876-1965)は、日本のグラフィックデザインの創成期の図案家である。

日本画家を志したが、黒田清輝邸に寄寓していたおり、ヨーロッパから持ち帰った書籍や資料をみて、図案家に転向。三越呉服店の嘱託図案家。ポスター研究団体「七人社」代表。帝国美術学校教授。1935年には多摩帝国美術学校の初代校長・図案科主任教授。75歳、多摩美術短期大学初代理事長。89歳、没。

工芸品、玩具、美術雑誌、ポストカードなどの収集家。本の装丁:佐藤紅緑「幸福物語」。「現代日本文学全集11正岡子規。「私学振興」「東京市電話番号簿「経済情勢」「科学知識」などの雑誌。「ヤマサ醤油」「上野アサクサ開通」「産業組合中央大会」「実業界」「佐渡汽船」「岐阜市名古屋鉄道局」のポスター。

『実用図案資料大成』は、『動物図案資料集成』上中下巻。『植物資料図案集』上下巻。『人物資料図案集』上中下巻。以上全8巻からなる図案資料集がある。7600点以上のモチーフを50音順に細かい索引がある百科事典。図案の出展、地域、時代をすべて明記。

・一歩一歩私の途を喘ぎつつ、私の足跡の此記録を、私は背後に振り捨てて行く気持ちで私は尚一層の努力で私の前途に邁進する所の希望を自ら持って居る。

・他人の行く途は其人の途であって、私の途ではない。私の辿って来た途はどこまでも他人の途ではなくて、私の行く途である。

・図案の目的は「社会とか生活といふものを、よりよく建設するためんい、企画設計することであり、美意識に依るよりよき社会認識であり、美的構想に立脚した衣食住に対する美的表現でもある」

・視る目を養うことは、また図案美の眼でもあり、それを採集し構築する眼にもなるおだといはなければならないのであります

・美欲の発言として、我々はどんなものを持って居るかと申しますと、我々は絵画、彫刻、音楽とか或は文学演劇のような、純粋芸術の外に、又我々は装飾美術とか、工芸美術とか、或は商業美術のやうな目的芸術を合せ持って居るわけであります。

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研究開発機構評議員会(機構長)を九段サテライトで開催。

総合研究所。情報社会研究所。医療・介護スリューション研究所。ルール形成研究所。社会的投資研究所。以上の代表者が参集する会議。

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「名言との対話」2月20日飯野賢治「会社はバンドだ」

飯野 賢治(いいの けんじ、1970年5月5日 - 2013年2月20日)は、日本ゲームクリエイター実業家

1988年にゲーム制作会社「有限会社インターリンク」に入社。翌年にゲームの下請け会社「EIM」を設立し、並行してゲーム専門学校の講師も務める。

1994年に「株式会社ワープ」を設立。1995年に自身が脚本を務めた3DO専用ゲームソフト「Dの食卓」が全世界累計売上100万本超えを記録する大ヒットとなり、「マルチメディアグランプリ'95 通産大臣賞」を受賞。

1997年には画面表示が一切無い、音だけでプレイするゲーム『リアルサウンド風のリグレット~』を発表し注目を集める。ゲームデザイナーの代表として積極的にマスコミにも露出し、ラジオ番組のレギュラーを持つなど当時を代表するゲームデザイナーとして広く知られるようになる

2000年にスーパーワープ社(後のフロムイエロートゥオレンジ)を設立し、代表取締役社長に就任。

2003年には、文芸誌「ファウスト」(講談社)創刊号にて小説家デビューも果たしている。

2008年にmoon』のクリエイターでもある有限会社Route24代表の西健一と共同開発したiPhone/iPod touch用アプリ『newtonica』をリリース。発売直後に日本のApp Storeランキング1位となり、世界各国でもチャートインする。続編として、2008年12月に『newtonica2』、2009年1月に『newtonica2 resort』をリリース。さらに2009年3月26日、フロムイエロートゥオレンジ開発のWiiウェアきみとぼくと立体。』を任天堂ブランドタイトルとして発表。飯野は企画・ディレクションを担当した。

42歳で亡くなる3日前までボストンに滞在し、twitterを更新していた。そのtwitterの共同創業者BIz Stoneとの対談映像をみた。「東京は音楽にあふれている。例えば着メロ。まるでゲームの中にいるみたいだ」とBizが語っている。

情熱大陸』に登場した飯野。黒ずくめの巨漢だ。「ゲームつくりの才能があるとは思わない。作り方、しくみなどを含めたクリエータとしては才能がある。見本をみたら怠けてしまう」「自分のつくるゲームには、シナリオ、テーマ、哲学がある」「会話中心の展開。言い回しのうまさを求めて本を読む。一週間で50冊読むこともある」「Quest=自己の探求」「ゲームは生き様を反映する」。

小学校2年の時に母が家をでる。飯野のゲームには母は登場しない。「母の愛は、、、わからない」。「母の愛の欠如、そしてそれをめざす。そういうことも重要だ。トラウマ、コンプレックスが創造につながることもある」と語っている。

「会社はバンドだ」とは、気の合う仲間と、イカシたことをやる。そのバンドのわがままなリーダーが自分だ。そういう気分で会社をまわすのが飯野の流儀だ。重苦しい、堅苦しい会社のイメージは過去のものだ。バンドだと思って、あるいはクラブ活動だと考えて、楽しみながら創造の世界に入り浸ることがいいのかもしれない。私はゲームをやらないが、この世界は書籍ではない、もう一つの宇宙だ。ゲームの宇宙に入っていこうか。