午前:多摩。午後:湘南。夜:湯島。

中津の同級生の東京組と、湯島の友松君の店・ビストログラッソで食事会。思いがけず、泉君が現れる。1月に関西から引っ越してきたそうだ。今富女史からは、保育園に通っていた当時の写真をみせられた。このレストランで働く人はベトナム人などインターナショナルだった。ここでも人手不足は進行中。

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 午前:大学にて仕事。

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午後:湘南のグローバルスタディーズ学部の学部運営委員会に出席。杉本君と久しぶり。

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「名言との対話」。2月21日。樋口清之「不合理の合理」

樋口 清之(ひぐち きよゆき、1909年1月1日 - 1997年2月21日)は日本の考古学者歴史作家

 國學院大學で学び、長く教授生活をおくる。考古学者としては静岡県登呂遺跡の発掘などを行い日本考古学の黎明期を支えた。また民俗学文化人類学など幅広い研究活動を行う学界の権威であった。考古学者としては静岡県登呂遺跡の発掘などを行い日本考古学の黎明期を支えた。

代表作『梅干と日本刀』から、「うめぼし博士」「梅干先生」とも称される。この名著は梅干しと言う発酵食品、工芸品の極致である日本刀を日本文化の粋としてタイトルにしている。

 1974年に出版され、シリーズ累計で130万部のミリオンセラーとなったヒット作となった『梅干と日本刀』 の2014年の新書版版を久しぶりに手に取って読んだ。「日本人とは何か」から始まる「まえがき」には自虐の習慣から脱却し、ほんとうの自分の姿を見ていこうという出版の趣旨が書いてある。「すごい科学」「おどろくべき自然順応」「独創性に富む」「住みよい人間関係」という各章で、日本の優れた点を挙げており、当時の日本人が争って読み、留飲を下げたものだ。日の丸弁当は超合理的、西洋4味・中国5味(苦味)・日本6味(うま味)、古代人の便所は水洗式、鍼灸術は中国に逆輸出、袂が考案された理由、日常語は世界一の14万語、敬語と卑語、芸道は精神、位牌、、、。樋口清之は庶民生活の視点から、歴史の大局を描き出す料理の仕方が得意技だった。生涯で300冊をこえる著書を刊行し、テレビ出演、講演活動も積極的にこなし、「樋口学」とも称される独自の日本文化論を語った。

最後の「解説」を書いているのは作家の井沢元彦だ。井沢は「時代で常識とされていたことは記録されなかった」とし1992年から書き続けている『逆説の日本史』で、「言霊怨霊穢れ」への無意識の信仰が日本の特徴だとする論客である。井沢によればこの書は「日本人に勇気と誇りを与えた名著」である。樋口の著書は司馬遼太郎歴史観に代表される史観と同様に民族の美点を知り、勇気と自信を与えてくれた書である。20年ほど若い渡部昇一谷沢永一とも肝胆相照らしていた。

茶道、華道、香道などの芸道、そして空手道、柔道もなども同じであるが、技術の学びを通してその裏に存在する精神を日本人は学んでいる。「道」はいわば精神科学なのである。何ごとも「道」にしてしまう日本人は、死ぬまで長い時間をかけてその道を歩みながら、過程を楽しみ、精神の高みにいたるのである。私たちは仏道、サラリーマン道、仕事道、などあらゆる分野に「道」をつくってきた。そのことを樋口清之は不合理の合理と呼んだのだ。連続5000日を超えてきた私のこのブログも、「ブログ道」を意識する段階になってきたようだ。