原稿書き

原稿書きに没頭。

田辺茂一。川又克二。立石一真本田宗一郎。岩田弐夫。柳田誠二郎。円城寺次郎。古岡秀人。藤井康男。佐治敬三。斎藤英四郎。大社義規。永谷嘉男。布川角佐衛門。井深大

ーーーー

『新・深・真 知的生産の技術』の新しい書評2つ。

楽天の書評。鉾田の自由人さん、

五十年前にベストセラ―となった梅棹忠夫の知的生産の技術を情報社会・インタ―ネット社会の現在に蘇らせた内容の本である。本書の編集を行った知的生産の研究会は梅棹氏の同書に感銘し、発足したとのことで、原点への回帰である。原点の同書も今回、再読したが、単純な技術論に留まらず、知的生産物を生み出す奥深いところまで踏み込んでいた。今回の本もタイトルを新・深・真 知的生産の技術としているようにホームページを主体としたあらゆるSNSを駆使する方法論に留まらず、それを自己の再発見、自己実現、自己のデータベース化に活用している点が非常に参考になる。知的生産の重要性が増している現在の情報社会の中で、是非、読んでおく書である。

ーー

アマゾンの書評。yarnさん

「知的生産の技術研究会」のこれまでの活動、著者による実践記録、故梅棹忠夫先生への回顧。過去と現在と未来を織り交ぜ、新たな時代の「知的生産」へと思考を導く。
明瞭な言葉や図解によって纏められており「知的生産」という言葉を初めて耳にする人も楽に読み進められる内容となっている。
加速する情報化と長寿化の現代、そして未来をどう生きるか。
「100歳を越えても知的生産し続ける」という大前提から始まる論はユニークで力強い。
WebページやSNSを自在に操り、「知的生産」を更に進化(深化)させる試みも興味深く感じた。
本書にはこれからの「知的生産の技術」を模索するヒントが所々に隠されているように感じる。
読了後、何かしらの成果を自分の思考の中に見つけられる一冊である。

ーーーーー

「3・11から丸8年。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

「名言との対話」3月11日。佐川清「段取りの出来る者が作業の進行を握り、やがては作業全般を掌握するのは成り行きというものだ」

佐川 清(さがわ きよし、1922年3月16日 - 2002年3月11日)は、日本の実業家

 新潟県生まれ。土木請負業、急便業を開業する。1962年、有限会社佐川急便を設立、1965年、佐川急便株式会社と改称し代表取締役。金沢、大阪、高松、福岡、東京、仙台、京都に支店を設立。1977年に全国ネットワークを完成。58歳の1980年に年商1000億円を越える。それまでの半生を描いた佐川清『裸一貫の帝王学』、波乱万丈の半生記を興味深く読んだ。58歳の時の自伝だ。「軍法会議であわや銃殺刑」「妓楼通いで九死に一生」、そして「鍵を預かる飛脚屋冥利」「お客の要請がある時が「時間内」」「佐川は人の霊性(まごころ)を運ぶ」など魅力的な見出しが並んだ本だ。

体験でしかものが考えられない。会った人でないと信じない。汗して働く人間しか認めない。そういう佐川清は、俸給倍増論、ドライバーの初任給47万円、徹底したノルマ制、日用集配など迅速な配達、ドライバーの集金など革命的な手法で勝ち上がっていった。

「私はお客様とのつきあいにはビジネスの次元を越えて、霊的な高まりのなかに自らを置いてきた。荷物をつくった人は、荷物に対する思い(霊性)がこもっているはずであり、発送するときは霊的な思いそのものを送る気分のなかに在るであろう」。飛脚の仕事は「人」がすべて。人とはドライバーのこと。一にも二にも「信用」である。心を運ぶ。普通の飛脚便で中一日かかるのを翌朝には届く、のが佐川のやり方だ。、、、。これは「飛脚道」とでもいうべき考え方だ。

一方で、宵越しの金は持たないと、政治家、芸能人、スポーツ選手との交際も深く、日本一のタニマチと呼ばれてもいた。また、 滋賀県の佐川美術館を訪問者したことがある。創業40周年記念事業として設立された美術館だ。日本画家の平山郁夫、彫刻家の佐藤忠良、陶芸家の楽吉左衛門の3つの館が、敷地の大部分を占める水庭に浮かぶようにたたずんでいる美しく印象に残る美術館だった。

 1992年の70歳の時に「東京佐川急便事件」が勃発。当時の経営陣が暴力団への巨額の融資・債務保証をしていたとして特別背任罪に問われる。東京佐川急便事件だ。自民党金丸信元副総裁が政治資金規正法違反に問われたが略式起訴になる。この事件をきっかけに会長に退く。

手順を考え、段取りを仕込む。それをスケジュールの落とすこと。そういう人が仕事の進行を握り、やがては全般を掌握することになる。創業30年で日通に並ぶ大企業にした佐川清はこのことを武器にした人だ。これはどんな仕事でもいえることだ。目的やゴールなど全体を見晴らして、個々の仕事や作業の関係を視野に置く人が自然にリーダーになっていく。

 

 

裸一貫の帝王学

裸一貫の帝王学