多摩の企業見学2回目は、三鷹の株式会社コミクリ(佐藤弘人社長)。

三鷹

NJ出版社の編集者と駅構内のレストランで昼食を摂りながら、4月初旬刊行の新著の打ち合わせ。組みあがった本の形式のラフと、表紙デザインを見せてもらった。数日で内容をチェックし、「まえがき」の補足をする予定。読書に関する新企画のアイデアも誕生。

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1時間ほど、『ホーキング、自らを語る』を読む。

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三鷹駅で多摩信金の長島さん、同僚の小林先生、中村その子先生、増田先生、学生二人と待ち合わせ。

「ファブスペースみたか」を見学。3Dプリンター(立体物プリンター。30分540円)、レーザーカッター(小型加工機)、UVプリンター(多様な巣材にダイレクトにプリント)、モデリングマシン(加工)、電子刺繍マシン、ペーパーカッター、ハンディ3Dスキャナー等のデジタル機器を整備した会員制のスペース。

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。佐藤弘株式会社コミクリを訪問。佐藤弘人社長から説明を受ける。コミクリはコミュニティ・クリエイションの略。以下、キーワード。

・24年間、IT企業で働いた後に、まちづくり三鷹に入社。2009年に起業して10年。松江、塩尻、福岡、田川、小平、周南に拠点。テレワーク事業も開始。

・8名で起業し、現在は社員60名、テレワーカー600名。人と情報と地域をITで元気にする企業。

・事業は5本柱。Rubyソリューション「松本ゆきひろ。図書館システム。オープンソース。TKT予約」。ウェブソリューション「女性。HP運用。CMS.デザイン。自治体」。システムソリューション「人事給与。サーバー構築」。地方創生「8か所。子育て・介護を地方でしながら働く」。自治体窓口サービス「ワンストップサービスをITで」。

・地方のテレワーク拠点で一流企業の仕事をする。沖ノ島。インターネット。ライティングの需要。ふるさと納税による教育格差の是正。まちづくり会社。人口の社会増も。

今後:IOT開発。VR(仮想現実)。ホロレンズ。MR(複合現実:歴史・観光)。AI。自動運転の声、地図開発、、。

・半年の技術者研修。プログラマーシステムエンジニア。プロジェクトマネジャー。シニアシステムエンジニア。セールスエンジニア。

・リモートワーク。対面を重視。社員満足。2020年100名。年俸制。社長は地方出張がほとんど。子育て後の復帰。ママドラフト会議。

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 事務所。IT企業らしい自由な雰囲気。

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・印象:急速に、しかし堅実に業容を拡大しつつあるITソリューションベンチャーという印象を持った。多摩大のいう「志企業」だ。社長の志の高さと頑張りに敬服。

・魅力:人材育成方針と育成プログラムがしっかりしているので、社員は迷いなく仕事に没頭できるだろう。こういう企業に学生は参加して欲しい。この取り組みを紹介する本を出したらいかが?

・どう生かすか:地方で時代の最先端の仕事に関わることができ、その仕事が地域創生というテーマのど真ん中に焦点が合っている。そういう企業の代表としてPRしていきたい。

 

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荻窪の出版社に寄る。

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 「名言との対話」3月13日。内田康夫「僕だったら、希望を持つことと、他人に希望を抱かせることが女らしさだと思いますけどね」

内田 康夫(うちだ やすお、1934年11月15日 - 2018年3月13日)は、日本の推理作家

2017年8月に 軽井沢浅見光彦記念館を訪問した。 女性ファンの多い浅見光彦シリーズの著者内田康夫がつくった架空の人物の記念館だ。浅見光彦の愛車ソアラがみえる。 主役の浅見光彦は永遠に33歳だが、著者の内田康夫は生身の人間だから年を重ねていく。

ルポライターの浅見光彦を主人公としたミステリーのシリーズは、日本各地で起こる難事件を解決していく物語で、ドラマや映画にもなる。累計発行部数約9600万部に上るベストセラーだ。浅見光彦シリーズは現在までに116冊。内田康夫の著書は全部で163冊を数える。浅見光彦友の会や内田康夫財団等が存在しているとは面白い。

内田康夫はデビューが遅く、46歳から36年間の執筆生活である。自身でも遅咲きと自覚している作家だ。怒涛の仕事量であるが、デビューは遅く、また偶然作家になったのは意外ななりゆきからだった。友人にバカにされて行きがかり上、「死者の木霊」を書き上げて1978年度の江戸川乱歩賞に応募して二次予選で落選し。それを3000部ほど自費出版して店頭に置いてもらったのが翌年12月。3月8日の朝日新聞日曜版に好意的な書評が載った。それがきっかけで推理作家になったというわけだ。

再現されている内田康夫の書斎の机に座ってみた。福江市史、鴨川市史などの市史、千葉県の歴史など県史、五島史などの民族本、「街並み細見」の西日本編、「みやぎの峠」、岡山弁会話入門講座、「ふくしまの祭りと民俗芸能」などの資料が並べてあった。普段から以上のような資料を使って書いているのだろう。ワープロは、一貫してオアシスの親指シフトボードである。

全国の県別の作品の棚がある。私の出身の大分県は、「湯布院殺人事件」と「姫島殺人事件」。多摩では「多摩湖殺人事件」がある。

私はこの人の作品を読んだことはないので、エッセイを手に入れて読んでみた。エッセイは作家のホンネが出るから読むようにしている。「存在証明」(角川文庫)の「あとがき」には内田は「エッセイには著者の本音が」出る」から、尻込みしていたが、やむなくエッセイ集のあとがきを書く羽目になった経緯が書かれていた。

内田夫妻は作家になった翌年の1983年から軽井沢に住んでいる。それはなぜか?「四季の移り変わり」「不便さは車さえあれば解決できる」「東京へゆく楽しみが増えた」「自然と都会の理想的な接点」「夏は仕事にならないほど人が訪ねてくる」。記念館にたまたまいらしたエッセイストでもある奥様(早坂真紀)は「春夏秋冬の四季がはっきりしているのがいい。冬もね」とおっしゃった。ドイツまで取材の足を延ばしたという作品を勧められた。訪ねた当時、内田康夫脳梗塞で左半身まひになっていた。「筆を折ったのですか」と奥様に聞くと「違います。休筆です」とおっしゃっていた。 

軽井沢に別荘や本宅を構えているのは、堀文子、森村桂山際淳司、藤田宣永・小池真理子夫妻、、。最近ではITの佐々木俊尚さんも拠点三か所の一つにしている。銀行の幹部を辞めた人なども暮らしていると聞く。

冒頭の「希望」に関する言葉は、作中で浅見光彦に言わせた内田康夫の言葉だ。外からは幸福に見えても希望がなければ生きている甲斐がない。どんな苦しい境遇でも希望があれば、やっていける。

 

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