4月初め刊行『名経営者の言葉』の原稿チェック。

4月初旬刊行の『名経営者の言葉』の原稿チェック。もうアマゾンに出ている。「戦後の日本を作り上げてきた名経営者たちが遺した言葉。時代は変わってもズシリと心に響きます」と内容を紹介されている。

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「名言との対話」3月17日。安井かずみ「作詞をするのは一枚の絵を画くのと同じことだと思う」

安井 かずみ(やすい かずみ、1939年1月12日 - 1994年3月17日)は、神奈川県横浜市出身の作詞家、訳詞家、エッセイスト歌手

『たとえば好き たとえば嫌い 安井かずみアンソロジー』を読んで、初めてこの人のことを知った。昭和のヒットメーカーの、仕事、私生活、旅、愛。華麗なライフスタイル。交友、旅、おしゃれ、食、恋愛を書いたエッセイのアンソロジー。40代半ばまでのエッセイが込められている。

画家になるつもりが、ピアノの楽譜を買いに行った神田の小さな出版社で、偶然プレスリーの歌の和訳に口をはさんだことから、訳詞を依頼される。そしてNHKからオリジナルの詩を書いてと頼まれる。それがその年のレコード大賞となる。その後、小柳ルミ子「私の城下町」、沢田研二「危険なふたり」、辺見マリ「経験」、和田アキ子「古い日記」、アグネスちゃん「草原の輝き」、伊東ゆかり恋のしずく」、園まり「何も言わないで」などヒット曲は数知れない。安井の後は、阿木曜子などが女性作詞家の道を歩んでいる。先駆者だったのだ。

20代後半にフランスで一日3時間、フランス語で書く日記風ノートには、自己嫌悪の文章が並ぶ。ある時、安井は解放される。何者でもないのだから、ただ在ればよい、ただ生きればよいことを知る。そこから自由になった。このあたりは最初の外国人との結婚で敗れた後だろうか。

フランス語の堪能な安井は、この言葉で何人ものフランス人と恋をしている。もう一つの自分、もうひとつの時間をもつことができる、という。フランス語は、安井を夢の世界へ連れていく。「雪が降る、、」などで一世を風靡していたアダモ、世界的画家であるダリ、、。

8歳年下のミュージシャン加藤和彦とは、作曲歌と作詞家という関係のワーキング・カップルだった。飽きる暇がない関係だ。38歳で再婚する。熱中と虚脱のリズムの終着地か、、。『たとえば好き たとえば嫌い 安井かずみアンソロジー』の表紙には安井かずみがタバコを手にした素敵な写真が使われている。55歳で亡くなったのだが、肺がんだった。

作詞と絵を画くことは同じだという安井かずみは、「今、今日、作詞するのは、今日私がこの世に生きている証拠の産物であって欲しいと、願う。それには、常に生きていなければ、いけないと思う」と書いている。自分が生きている「時代」を書こうとしていたのだ。「女(ひと)の二十代があっての、その女の30代があるようです。40代、50代とそれに準じていくのでしょう」とも語っている。安井かずみは、時代を存分に生き、自分が生きた時代を見事に描きだした女性である。