山梨人物探訪。「ハーブ庭園、旅日記」の「ふじさんデッキ」。志村忠良。高山行男。

「ハーブ庭園、旅日記」の「ふじさんデッキ」からの展望。高さ13メートルの展望台で、富士山・河口湖・庭園を一望できる。富士山の裾野がすべてみえる唯一の場所。

中東からの団体が庭園を歩いていた。

ふじさんデッキ | ハーブ庭園 旅日記 富士河口湖庭園


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デッキでは富士山に憑りつかれた高山行男(カメラマン)の動画映像を見ることができる。古来、富士山に憑かれた人は多い。歌、写真、そして動画だ。
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春には桜やツツジ、初夏にはラベンダー、秋には紅葉、冬には大温室で育成中のハーブと花。ハーブ庭園 | ハーブ庭園 旅日記 富士河口湖庭園

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園主・志村忠良。

3歳の孫がアトピー性皮膚炎になる。ローズゼラニウムというハーブの乾燥葉をすすめられて風呂に入れて試すと痒がらなくなる。サトウキビのアルコールで抽出液をつくり孫に持たせる。同じ悩みの一たちに分けてあげると大きな反響があった。化粧品として認められたが、原料の供給が間に合わなくなる。考え抜いた末に「大きい会社でなくていい、信頼される会社にしていこう」「主原料は自分たちの手で栽培していこう」と、決心する。今ではナチュラル倶楽部のマークは、「おじいちゃんの愛情」の姿だ。

この物語には感銘を受けた。この園では、ふじさんデッキの女性スタッフ、温室の青年、ナチュラル化粧品の販売所でハーブティを出してくれた女性店員など、誰もが親切に声をかけてくれる。「いい仕事をしている」という意識を感じる人たちだった。園主の理念が隅々まで浸透していると感じた、気持のいい空間だった。
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株式会社英雅堂(志村忠良社長)。

社訓「人間は死ぬまで未完成である。ゆえに人生の全てにおいて己を磨き命のある限り成長していくことが大切である。」

経営理念「お客様に「驚き」「喜び」「感動」を与えるサービスと製品と施設を常に提供していくこと」


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「名言との対話」3月25日。遠藤幸雄「私はその感動で泣いたのです。私の涙は金メダルの涙ではない。自分に勝てた感動で涙をこぼしたのです」

遠藤 幸雄(えんどう・ゆきお、1937年昭和12年1月18日 - 2009年(平成21年)3月25日)は、日本の体操競技選手である。

東京教育大学(現筑波大学)を卒業。体操選手として、ローマ、東京、メキシコと3大会の出場を果たした。東京では日本人初の個人総合優勝を獲得した。目標としていた郷里秋田の先輩の小野選手が成し遂げられなかった快挙だった。「体操ニッポン」の黄金時代を築く。遠藤は3度のオリンピックで金5個、銀2個をもらった。引退後は2007年まで日本大学教授をつとめる。日本体操協会では副会長、JOC理事。1999年、国際体操殿堂入りを果たす。

遠藤はオリジナルの技「前方開脚浮き腰回転倒立」を考案した。「エンドー」と呼ばれ、技に個人名がついた。東京オリンピックの個人総合で圧倒的優位に立っていた遠藤は、最後のあん馬でミスを連発してしまう。9点台が出れば金メダルだったのだが、長い審議の末に9・10で優勝する。別室で遠藤は死別した母に「ボクに9点台をください」と祈っていたそうである。

この個人総合優勝の金メダルをもらった時に泣いたうれし涙は、小学校3年生の時に母親を亡くし、父とも生き別れになり、中学1年の冬から養護施設で育ち、体操と出会って努力を重ね、自分に勝てたという感動だったのだ。村田英雄の名曲「姿三四郎」の歌詞「人に勝つより自分に勝てといわれた言葉が胸にしむ」がる。誰に言われたか。加納治五郎だろう。まさに遠藤幸雄は「人に勝つより自分に勝った」のである。遠藤は自分を育ててくれた養護施設への寄付を生涯続けていた。